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はからずも老害になってしまった。

書きたいことはないけど、もくれんではありたい。

ごきげんよう、もくれんです。

書いてないと私ではない、みたいなアイデンティティはもうないんだ。ないんだけど、俗世にまみれてると「もくれん」でありたいという気持ちになる。私の本質はこっちなんだってことにしておきたい。

そういえば植物のハクモクレンも近くでほころび始めている。梢の先でちいさなフクロウがとまってるような蕾を見るとかわいいねぇと思う。私はたいてい暗い気持ちで生きているので、小さな季節の変化や花が咲いて枯れてしていくのを見るとちょっとだけ勇気をもらう。下を向いて歩いてると目に入るスミレに励まされる私である。うーん、暗い。

ま、本気でやばくなるとカツオのサクをゴヤの『我が子を食らうサトゥルヌス』みたいに食べ始めるので、カツオを切ってるうちはまだ安全である。

『我が子を食らうサトゥルヌス』 ゴヤ

サトゥルヌスは回避しているが、最近私が最もなりたくない老害になってしまった。なぜすべての人間は老害を疎んでいたはずなのに老害になってしまうんだろうか?と思っていたのだが、自分が早くもその地点に到達してしまった。早すぎだろ。今までの人生、仕事にやる気があるときのほうが少ないほうだけど、それなりに必死に仕事をしていた時期はまぁあるわけで、今は本当にやる気がないし身体も動かない。鬱になりそうなときは趣味ができなくなっても仕事だけは死守していくスタイルだったが、むしろ仕事がポンコツにできなくなっている。イヤイヤ始めた割には頑張っていたGLOBISもしんどくなってきてやっつけ付け焼き刃になってる。生産性がマイナスである。こうなってくると自己効力感も肯定感も受容感もどんどん落ち窪んでいく。やる気がないというのは社会人としてはよろしくないことで、やる気がなくても責任を果たせということはよくよくわかっているのだが、なんだかうまく動けない。鬱なのかなーと、なにかしら具合が悪いと自分を疑うのだが、鬱じゃなくてただの怠惰である。安井金比羅宮で縁切りしたい人が見つからなかった私は「怠惰な私と縁を切りたいです。ちなみにいい人と結婚でき」くらいでくぐり抜けてしまい、どちらも叶わず数年経っている。色々と自分の機嫌を損ねないように、チアアップしようと美術館に行ってみたり美味しいものを食べてみたり友だちと遊んでみたりしているのだが、全く仕事を頑張る気力が戻ってこない。楽しくないなー平日毎日。日々是好日ということにしたいのだが、うまくいかない。このままじゃ坂道を転げ落ちるように大変なことになってしまうのに、うまくできない。日中に泣いたり叫んだりせずに働いていることをヨシとして毎日を過ごしている。ハードルを低くしすぎて恥ずかしいくらいだが、今はそれぐらいじゃないと社会人を続けられない。

なんでこうなっちゃったのかなと思うのだけど、降格(給与も名目は変わらないけど)してこの半年間で給与は多分上がらないねって話を上司としてしまった上に、新しい仕事を3つ担当することになって自分の今までの職能貯金があまり使えないことでめんどくさくなってしまったのだと思う。あと一度ドロップアウトしたことでキャリア迷子になった。周りのえらいひとたちには「チャンスは巡ってくるもの。腐らず頑張ることが大事。みんなそうだから。」などと大変励ましてくれるのだが、励まされれば励まされるほどにその気持ちに応えられない自分がストレス。しんどい。佐賀にいたときに、職場のトイレの電球を替えながら「こんなことしてる場合なんだろうか。いや、誰かがやらないといけない仕事ではあるんだけど…」と不安がよぎったときを思い出す。

人生の3分の1寝て、3分の1働いているので、仕事で自己効力感を感じられないとしんどいな~。焦って頑張る気持ちが全然わかない。急激にブレーキをふんでる。

このままじゃ痛い目に遭うし、もう既に半分くらい遭ってるし窒息しそうなのだが、泳ぐ気になれない。溺れて死ぬから泳いだほうがいいのわかってるんだけど、うーん。これが子育てとかだったら人命がかかってるからやるんだろうなと思うと、貧弱な言い訳だなと思う。思うのだけど。

そんな最近のよいことを探しますとね、自炊をかろうじて続けています。この前西の空にすばるを見つけました。ユキヤナギの花がほころんでいて幸せを感じました。

停滞しているときにこそ人間力が試されるな~。とりあえず明日は元気におはようを言うところから始めてみよう。

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