恒星ノート(5):多少個人的な夢日記:そして夢が来た

夢の解釈に普遍性が無いおそれがあり、夢日記の要素が大きい。これを書いている時、気分的に高校生か大学生のような気分で、所在無さげというのも少し珍しい。

▶︎部屋中にハロウイン色のペン。使っているにしては大量にある。いい淀むようなミント色の雰囲気。3点リーダーの世界。

当初の夢の意図が部分的に個人的な事情が重なっている。受動的攻撃性について、日本人の傾向としてかなり受け入れられていると個人的に考えるが、果たしてこれがまともなのか、私自身、判断できずにいる。日本人は民族的にこれで外交の場で損をしているのではないか。少しずれるがH24~48の領域で扱う自己主張、論理性、知性はそれぞれ別の分野として分けられるべきではないか。

オレンジと黒の組み合わせは、「トリックオアトリート」の一言に凝縮されている思える。赤色の生命力に黄色の拡大が合わさって、黄色の拡大は、拡大解釈でもあるので、通常の世界観から脱線した内容を扱う。黒は勢いのあるオレンジ色を抑制している、あるいはこれに形を与えている。

私の部屋に大量にこのペンが散乱しているというのは、私個人が使う以上の量なので、アメニティとして配っているのではないかと思えるほどだった。部屋に思わずぶちまけたのだろうか。私自身が拡大解釈の混ざった内容を書き散らして、惑星グリッドのように、あるいはこれに乗せて世界へ広めるということだろうか。

一方で、これとは真逆に淡いミント色が支配的な色の雰囲気というのは、主張が極端に弱い。この世界では一瞬で消えてしまう。三点リーダー「…」も同時に浮かんだので、どこかいい切れない歯切れの悪さがある。

上をまとめると薄暗いところでは言えるが、明るい所では言えないということで、これが受動的攻撃性の全てかもしれない。あらゆる文化が別の形で何かを表現するということであれば、地上的表現はどこかしら歪み抱えているのかもしれない。


瞑想:渋谷南西口を上がってゆく遠くから見えるグレーの輪郭の人々。

これは単純に地上から足を話せば輪郭は薄くなってしまうことだが、お寺でよく見る階段ではなく、渋谷駅の映像というのが面白い。実際にこの近くへ、私は用事でよく行った。

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