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小説家における「ライブ」の場

もう、マスクを外してもよい、ということなので、プロフィール画像を、例の「ブック・マスク」の画像から、目次一本人の写真に変えた。

Twitterでも書いたが、近頃は、グランドジャンプ漫画賞へ送るための漫画を描いていた。
今日、書き終え、机を見たら、
「消しゴムの桜」
が咲き、散っていた。
この記事の画像は、それである。 

ところで、小説家という生業と、他のアーティストとの最大の違い、というのは、「ライブ」という、エネルギーやストレスを発散する場がない、という点である。
言わずもがな、ミュージシャンならば、アルバムを制作した後、ツアーという「ライブ」の場がある。
画家でさえ、個展という交流の場がある。
ゆえに、創作後の、僕の「ライブ」活動は、主に、YouTube上での批評的なコメントという形を取る(人として、クソださい)。
以下は、それの堆積である。
 
①三拍子(お笑い芸人)さんへ
一視聴者からの意見です。
さすがに、大切な単独ライブの告知は、高倉さんと久保さんの2ショットで、ちゃんと、どこで、いつ、どんな値段で、やるのか、という大切な情報を、字幕にしてマーカーで囲って、一番引きのある「一動画」という形として発表するべきだった、と思いますね。
その後、「答え合わせ」として、リスナーとライブ配信をするべきであって。
これでは、効果的な宣伝になっていないと思われます。
むしろ、ぼやけてしまっている、宣伝の焦点が。
そもそもの話、コメント欄などで誰も触れていないことですけど、三拍子さんのチャンネルは、コンテンツ自体がごちゃついているんですよね。
Twitterなどで「宣伝」はしてらっしゃると思うんですけど、そもそも、例えば、生漫dayや生漫liteというコンテンツが、どういう「意図」のコンテンツなのか、そして、それらがどう違うのか、の「説明」が全然足りていない、といいますか。
多分、多くの視聴者が、「あれ、生漫dayって、いつから、時事漫才しないコンテンツになったの?」ぐらいで、止まっていると思われます。
「説明」不足なので、惰性で、なんとなく、ついていけなくなって、見なくなっていく、という流れ。
一端、整理した方がいい、と思われます。
視聴者側は、「お、レギュラー番組が定期的に来たな」というルーティーンの中で、動画を見るわけですからね。
以上です。
 
②ぴろちゃん(ゲーム紹介系)さんへ。
以下の文、ぴろちゃんさんの、この「レビュー動画」という「作品」に対する「レビューコメント」になります。
ゲームの内容は、関係ないです。
一つの「レビュー動画」として、違和感があったので、書いておきます。
「あの映画の出来は悪かった」と「あのレビューの出来は悪かった」は、同系列として語られるべき、なぜなら、それで良くも悪くも貴方が収益を得ているわけですから、と。
ここで、コメントしている方々は、貴方にとっては、いわば、「お客さん」なわけですね。
で、この「レビュー動画」という「作品」の違和感、一つ目。
それは、概要欄に掲げてある「最も正当なレビュー」、あるいは、動画中に出てくる「フラット目線」などの、いわば、「自分の立ち位置こそが公平である」という根拠が、全く語られていない、という点ですね。
それどころか、
「個人の経験則に基づいているだけで、特に、根拠とかね、そういったものは全くありません」
と、自己矛盾してしまっている点は、さすがに首を傾げざるを得なかった、と言いますかね。
そもそも、本当にフラット(公平・平等)な見方をする人だったら、この、コメント欄などでも、全てフラットに対応するはずですからね。
しかし、現時点では、いいね、を選り好みしておられるご様子。
「正当」な態度とは? 「フラット」な見方とは?
ま、勿論、ゲームに対する態度と、お客さんであるコメント欄に対する態度は、別問題ですけれどもね。
で、二つ目。
どこからどこまでが「結論」なのか、どこからどこまでが「良い点」と「悪い点」なのか、「レビュー動画」としてのお品書きが散らかっていて分かりずらい、という点です。
冒頭の「結論」の部分、「ゲーム単体としての結論」じゃなくて、「ゲームとゲームにまつわる周囲の反応も含むレビュー動画としての結論」を言うべきだったんじゃないでしょうか。
巷に溢れるレビューと比較しながらゲームの本当のところを検証していく、という「軸」が、動画全体に貫かれていましたからね。
それに加えて、良点①と②の内容で、「ゲームの導入部分の作り込みがいまいちだった」「確かに、NPCが絡むサブクエは、(中略)つまらないものは多かったんですけど」と、悪い点を良い点に混ぜて語ってしまっている部分は、語り口がぐらついているな、と思われてもさすがに仕方がない。
「え? 良い点、悪い点、どっち?」という。
「ストーリー」というチャプターも、ま、余計かな、と。
なぜなら、良点②で、サブクエストに触れていますからね。その部分で、ストーリー部分もまとめて語れたよね、っていう。
動画の構成として、かなり、違和感があります。
しかし、最後の、「なぜ酷評されるのか」のチャプターは、――素晴らしい洞察に満ちていて秀逸だった、と思います。
総じて、「良レビュー動画」だと思いました。
では、高評価ボタン、押しておきます。
 
③ktiさん(ゲーム紹介系)へ
数あるフォースポークンのレビューの中でも、「テクノロジー面のレビューの公式攻略本」とも言うべき完成度ですね。
素晴らしい。
テクノロジー用語の専門性が高過ぎて、素人の自分には、少し、分かりずらい面もありましたが、それもまた、ktiさんしか出来ない芸当であることの裏返し、高い専門知の持ち主であることの証明でしょう。
で、改善案があれば、ということなんですけど。
「UIのカスタマイズが豊富である」という点と、「移動しながら」という点で、ふと、思ったんですけど、――これ、延長していったら、FF12の「ガンビット」になるんじゃね? と思ったんですよ。
好き勝手ガンビット設定できて、移動パルクールできりゃ、いいんじゃね? って。
少なくとも、ヒントは、そこら辺にあるんじゃないかな、と。
勿論、ガンビットって、あれ、特許登録されてるんですよね? だから、簡単に使用できない、っていうのも、分かるんですけどね。
で、こっからは、完全に、フォースポークンである必要はなくなってくるし、別ゲーになっちゃうんですけど、以前、ガンビットっていうシステムを、文学的に解釈すると、「概念」自体をカスタマイズしていけるようなゲームを作るれるな、と思ったことはあるんですよ。
まぁ、いわば、お笑いに全振りの、大喜利に全振りの、ラーメンズというコント師の「読書対決」(YouTubeに載ってます)みたいな、ゲームを。
ラスボス/は/雑魚/だが/スライム/より/人気/は/ない
スライム/は/雑魚/だが/ラスボス/より/人望/が/ある
この横の文字列を「パラディグム軸」といって、縦の「ラスボス」と「スライム」の関係を「サンタグム軸」と言いましてね。
これを、オンライン上において、フォローとフォロワーの数で、どっちの「概念の方が上」か、を決める、と。そうなると、――いや、ほんと、大喜利になっちゃうんですけどね。
「ラスボス/は/その後/本/を/出し/ベストセラー/に/なりました」
「スライム/も/その後/本/を/出し/ベストセラー/に/なりました/タイトル/は『ラスボス』」
みたいなね。
「フォロワーに認められる≒レベルが上がる」と、「新たな文字列の項目」を「入手」できる、みたいなシステムにして、差別化を図るみたいなね。
ふふ。
いや、これじゃ、そもそも、アクションゲームじゃなくなっちゃうし、どだい面白くないし、RPGツクールに近くなっちゃうし、まぁ、めちゃくちゃなんですけどね(笑)。
ええ。
 
③ナカイド(ゲーム紹介系)さんへ
お気軽にコメントお願いします、と表記されてあったので、少し書かせて頂きます。
まぁ、まず、回転寿司チェーン点のメインターゲットは、「家族連れ」でしょう。
なので、単純に、そんな「不潔」な行為が裏で行なわれてそうな店に対して、世のお父さん・お母さん方が、「いやだ、怖い」と、拒否反応を示す、のは、まぁ、当たり前の話ですよね、と。
コロナ禍以降、少なくとも、日本人は、より「清潔さ」に対して、センシティブになっているし、と。
その後に、ナカイドさんが仰られているような、株価の変動云々の「大きな経済的な話」がついてくる、という形だ、と思うんですけれども。
ところで、ルフィの件を扱った動画も観させて頂いて、ふと、引っかかったことなのですが、私見ですが、ナカイドさんという方は、損得ベースで人間を計る一面がおありのようで。
というより、損得ベースの視点に重きを置いている、という言い方の方が、しっくりきますかね。
いや、別に、それはそれでいいと思われます、勿論。考え方は、人、それぞれですから。
けれど、損得ベースだけで、人間の言動すべてを計ろうとするのは無理があるかな、と思っている派です、僕は。
「これは得だな…」とか、「これは損だな…」と、全て冷淡に頭で割り切れていたら、この世に、衝動的な殺人事件など、一件も起こっていないはずですから。
そこには、喜怒哀楽、どれに属さない、狂気の蓄積が、あったのかもしれない。
自分の人生すら不法投棄してしまってもいいんだ、というやけくそな気持ちが、あったのかもしれない。
あるいは、エドガー・アラン・ポーが書いている通り、単なる「あまのじゃく」という胸中に宿る一匹の虫のせいなのか。
人間、分からないものですよ、本当。
そう考えると、確かに「人類にSNSは早すぎた」というのは、仰る通りで、かつ、人類にとって、同じ人類との付き合い方こそが未だに一番の苦手科目である、と言えるのかも知れませんね。
もしかたら、本来、感情的な人ほど、逆に、理論家ぶっているのかもしれない。
もしかしたら、本来、純粋な人ほど、逆に、損得にこだわっているのかもしれない。
「それ、損得で考えると…」という誰かの、ふとした一言が、逆に、それを聞いた誰かに、「ふん。なにが、損得だ。関係ねー。むしろ、めちゃくちゃにしてやる」という気持ちに、させてしまっていたりするかもしれない。
なにせ、こんな文章を書かせてしまったものは、単なる「損得ベース」という考えに反発したい、という、「あまのじゃく」のせいですから。
――なんてね、冗談ですよ。
長文、失礼しました。
 
④ギン(ゲーム紹介系)さんへ
1つの「レビュー動画」として、「レビュー」(批判)されるべき点がある、と思ったので、書いておきます。
「あのゲームの出来は悪かった」と「あのゲームレビューの出来は悪かった」は、同系列として語られるべきだと思ってます。
なぜなら、良くも悪くも、それでギンさんが収益を得ているメディア人なわけですから、と。
主な批判点は、一点です。
それは、無理くりなポジキャンを押し通している、という点ですね(過度なネガキャンもどうかと思いますけど)。
まぁ、このチャンネルのブランディング上、仕方ないんでしょうけどね。
ただ、この大不況のど真ん中で、フルプライスの9,680円のゲームが「外れ」だった場合、金銭的に余裕がない一般人にとっては大打撃なわけですから、気軽におすすめするのは、少し無責任だ、と思ってしまう。
しかも、そのおすすめする「根拠」も、無理くりな擁護だな、と思ってしまう点が多い。
例えば。
「魅力」の点で挙げられている部分は、このゲームの製品版を出す時点で、最低限、担保されていなければならない「大前提」な部分なわけですよ。
なにせ、製作者側が、リリース前からうたっている宣伝文句なんですから。
「ここがウリですよ!」って。
体験版の時点で分かる「大前提」を、製品版の「魅力」として「加点」するのは、無理くりなポジキャン、と捉えられてもおかしくない。
例えば、新たにリリースされる対戦格闘ゲームにおいて、事前のデモver.で、
「爽快なコンボが出来て、これまで以上に派手な波動拳が打てます!」
って分かっている「大前提」の部分を、「これぞ製品版の魅力です!」と褒めている感じ、と言えば分かりますかね?
その延長線上で、「物語ありき」のゲームで、「手に入れたテキストから世界観を補完する」タイプのゲームと、擁護してらっしゃいますけど、それ以前の問題なんですよね。
それこそ映画や海外ドラマという表現形態がそうであるように、想像する・想像させるためには、あるカットやシーンの丁寧な積み重ねが、最低限、必要なんですよ。
その最低限が、このゲームの場合、雑だから、あるいは、「ない」から、問題なのであって。
それこそ、隙の無いカットやシーンがあって、そこで初めて、
「あのシーンの笑顔って、どういう意味だったんだろう?」という、「想像」の余地が生まれるんじゃないんですかね?
だから、「想像の余地」という言葉は適当ではなく、本当は「解釈の余地」が正解なんですよ。
それは、感性が、右脳的だから、とか、左脳的だから、とか、関係ないんですよ(そもそも、個人的には、どちらか一方ではなく、右脳も左脳もどちらも使っているでしょうに、とは思いますが)。
実際に「想像」するためのシーンやカットが不足しているんですから、それは「プレイヤーの感性のせい」じゃなく、ただ単に「製作者側の描写不足という仕事の手抜きのせい」なんですよ。
それこそ、「物語ありき」のゲームって言うんだったらね。
以上です。
しかし、この、ギンさんの「レビュー動画」も、この世の中の「役割」の一つとして機能している。
ゆえに、高評価、押しておきます。
次のレビュー動画に、期待しています。
 
⑤けいじちゃんねる(ゲーム紹介系)さんへ
PS5の売り上げが上がっているのにソフトが云々はさておき、
そもそもの話、けいじチャンネルさんがいう、
「みんながPS5で色々なゲームを遊べるような経済環境だよね?」という「基準」が、言い換えると、「社会学的な物差し」が、今の日本の経済的な側面とズレているし、楽観的過ぎる、と僕は思います。
PS5とソフト売上の件はさておき、今の日本人の経済状況は、岡田斗司夫さんではないけれど、僕らも含めて、「豊かな貧乏人」なんだと思います。
非正規社員だけど、それこそ、PS5買えるぐらいの余裕はあるし、
ニートで実家住まいだけど、親のすねをかじって、漫画買ったりする余裕ぐらいはある。
日本人の9割はスマホは持ってるし、と。
「もっと30代とか40代とかもPSのターゲットに入ってきて欲しい」
的なことを仰っていたんですけど、
30代後半から40代後半(と言いつつ、50代に行きかけいます。だから、8050問題とかがある)までの「大人」たちって、いわゆる就職氷河期世代であって、バブル崩壊で、1993年~2004年までに就職活動をしてきた人たちで、そんな中でも就職できたのが「たったの55%だった」という世代の人たちなんですよ。
かつ、その就職氷河期の人たちって、2021のデータでは、61.3万も、「引きこもり」なんです。
じゃあ、引きこもりだから、といって、ゲームをしないか、というとそんなことはない、というデータもあって、その人たちの「生活水準」のデータで、「暮らし向き」(暮らしに対して満足していますか?」という項目があったんですけど、答えは、――「中」(そこそこ楽しい)だったんですよ。
親のすねをかじって、引きこもりながら、「何を楽しんでいるのか?」
ま、ここからは勝手な推察になりますが、それこそ「豊かな貧乏人」ですから、無職でも、スマホはあるだろうし、pcゲームもやってるだろうし、Twitterもやってるだろうし、っていう。
ゆえに、「PS5が物凄い売れている」ではなく、「PS5が買えない貧困な大人(主に就職氷河期世代)の層がどれくらいこの世にいるのか」ということが、問題なのだと思います。
これは、難しい。
社会学的な領域ですから。
「豊かさ」というのは、「街ゆく人」の「生活水準」などで輪郭がはっきりしやすい半面、「貧困さ」というのは、コロナ禍・物価上昇・ガス・電気代高騰の中で、なかなか輪郭が浮き彫りになりずらい、と思うんです。
その、社会における「貧困」の輪郭がはっきりするのが、窃盗、強盗、詐欺などの「事件」なんですよね。
「事件」によって、「こんなに貧困な人たちがいたんだ」ということが、はじめてこの世に浮き彫りになる。
悲しいことですね。
とにかく、
「PS5は売れてるのに、ソフトはなぜ売れていないの?」
という命題自体が、
「みんな、当然、PS5で色々なゲームを遊べるような経済環境だよね?」という「基準」である、と言っているように聞こえたので、異を唱えさせて頂きました。
妄言多謝です。
 
⑥asmr runa(asmr系)さんへ
うわぁ。
ロイヤリティシステムの話、くそ手前味噌になりますけど、自分の2010年頃の黒歴史のアイデア、
【拡散】新たな「書籍」のモデルを発明!【希望】
www.nicovideo.jp/watch/sm19518307
を思い出しちゃいました。。
ド痛くて、スミマセン。。複雑な気持ちで、高評価押しておきます。。
 
⑦ナカイド(ゲーム紹介系)さんへ その2
他の方が仰っているように、YouTuberのみが抱く不安、という前提自体が、まぁ、幻想なのかな、とは思いますけどね。
今の時代、YouTuberに限らず、また、フリーランス的な職業形態に限らず、全ての人種が、宮台真司さん的な言い回しをすると、将来への不透明性にほぼ死ぬまで向い合い続ける一生になるでしょうから。
むしろ問題は、「幸福度」なんじゃないかな、と思われます。
この動画内では、人生の各要素の中の「仕事」という側面が主に取り沙汰されているわけですが、人生の「幸福度」を決める要素が、それだけとは思われない。
自分の場合は、ですけどね。
「仕事」が上手くいったとしても、人生の他の側面、じゃあ、「一生愛する人が出来ず、孤独死してしまったら、その人は幸福だったんだろうか?」と考えてみると、個人的には、首をかしげざるを得なかったりする。
そう考えると、
「なぜ自分は、YouTubeではない、他の生き方で食っていくのが嫌だったのだろうか?」
という逆説的な問いを、自分に突き付けてみるのもまた、何かのヒントになるかもしれませんね。
そこに、ナカイドさんの、目を背けたい、が、本当は、克服しなければならないな、と思っているコンプレックスだったり、幸福の鍵が、隠されているかもしれない。
ま、自分も、本当にコンプレックスだな、と思っているところ(自分の場合、主に異性との深い関係性、なんですけど)と向き合うのは怖いし、ずっと逃げてきている身なんで、全然、偉そうなことは言えないんですけどね。
乱文多謝です。高評価、押しておきます。

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