見出し画像

独り言と、ひとりごと

先日、父が帰ってきた。

単身赴任の三年間、
母にとっては遠距離恋愛、
わたしにとっては
父の冒険を見守る日々だった。


『コンビニ行こうかな』
父は晩御飯を終えた後のお出掛けを好む。

『こんな遅くに?』 と眉を下げるの母と、
『一緒行くから待って』と
支度を始めるわたしと、
どちらも父への愛で役割というものだ。

寝巻きとコート、ちぐはぐな格好。


最寄りのコンビニに着くまでの7分間、
今宵の月の話をした。

燃えるような赤。
わたしの知らない色、赤にいちばん近い色。

ほろり、彼は悲しいねと話しかけ、
ゆらり、わたしはやさしいねと話しかけた。
声はなくとも、
あれはきっと間違いなく聴かれていたね。

悲しみとやさしさ、不揃いな解釈。


缶ビールと柿ピー、そして杏仁豆腐。
母の好きな杏仁豆腐を持つ
わたしの手に視線をずらし、
うん、と頷く彼。

よほど母が好きなんだろうね。
なんとなく、
月も同調してくれたような気がした。

感染予防の透明の膜を指さし、
いい案だねえ、と呑気に顎を撫で、
父の健やかさに、そっと胸を撫で下ろす。


家路に着くまでの9分間、
自分を許す話をした。

それに付随して、
誰かを許す話を聴いた。

気弱で臆病者なわたしたちは、
それぞれに虐められた過去を持つけれど、
虐めた彼等を許したいと言いながら、
許したくないような顔を彼はしていた。

許せたときに、おとなになれるのかな。
そう、わたしが言っても、
笑うばかりで何も言わぬ彼を見て、

他人から逃げることを厭わない癖に
自分から逃げずに蔓延るのもまた同じだなと、
どうしてだか安心さえした。

隣近所の木を指さして、
大きく育ちすぎでしょうと、
けらけら笑いおなかを撫でた。


ただいま、りか。
おかえり、ひろしくん。

わたしと姉だけがよく知る、
4文字4文字の愛の往復だ。
こっそりわたしも付け足す。


母の知らない、父との時間。
わたしはそれがたまらなく好きだ。

足は折り返しながら
折り目のないことをだらだら連ね、
夜にぽーんと放り投げる。

勿論折り返されることもなく、
ただ各々の赤に滲むのを
朝になるまでゆっくりと待つ。


『あなたは、
いつまで経ってもわたしのこども』
母はことある事にそう言うが、
父とわたしは立派なこどもとこどもだ。

だからこそ、
お互いの教科書を読みふけり、
知らないことばを辞書で引き、
更ける夜を愛してきたのだろうと。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?