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海の底は、空の天井で


海と貝殻の話をしよう。
真っ白な夜の、紺碧な砂浜に腰掛けて。

そうね、人並みに、
下手したらそれ以上に、
ひとの顔色ばかり伺っていたのさ、
わたしという人間もね。

それを一辺倒に悪だなんて言わないけれど、
まあ、生きづらいね。

コンコン。
ドアを叩く手の甲をすり減らすことよりも、
叩く瞬間にいつも息を止めていることのほうが
よっぽど心がきゅっと凝り固まる。
そんな感覚を拭い切れず、生きていたね。

それがいつの間にか、
解れたのかはたまた解けたのか、
隔たるものがなくなった、というよりは
世界がぎゅっと近寄ってきた。


わたしのここが好きだと言うひと、
わたしのここが好ましくないと言うひと。

どちらにもさして興味はない。

それは落ちている貝殻を拾い上げ、
感想を言ったに過ぎないでしょうから。
あまりにちっぽけな、「ほんもの」だと思う。

興味がないと言うのは、
「にせもの」ではないことをよく知っているから、
はあ、そうか。と
頬に風を当てるくらいの調子でさ。


わたしには、わたしの海がある。
その美しさは、
わたしだけが知っていればいい。
ひとはそれを孤独と呼ぶ。

わたしの海には、わたしの底がある。
その深さは、わたしだけが確かめればいい。
ひとはそれを無駄だと指を指す。

わたしの底には、わたしの光がある。
その歪さは、わたしだけが抱き締めればいい。
ひとはそれを退屈だと笑う。

なんだっていい。
美しい孤独も、深い無駄も、歪な退屈さも、
遠くに追いやりたければ波に攫ってもらい、
傍に感じたければ戻してもらうんだ。

なんて調子がいいのでしょう。

ついでに言うとわたしはね、
わたしとわたし以外のすべてのものの間に
水平線を引きたい訳じゃないの。

ただただ、
わたしという輪郭を、
海という果てしないそれを、
なぞりたいだけなんだよ。
それだけを、人生に捧げたいんだ。

ちっぽけでしょう。
でもたまにはさ、
ちっぽけな海もあっていいでしょう。

そんなふうに、
泡立つ漣を口の中で弾けさせ、
砂とそれの境目をキスでなぞりながら、
また遠い国の海を持つひとと語らってね。

ううん、そうね、
そんなわたしに恋するのなら、
涙でわたしの水位を増してみてよ。

そんなわたしを愛するのなら、
写し鏡の空を瞳に入れて頂戴よ、と
海と空の騙し合いで誤魔化したりもして。



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