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キスも抱擁も、わたしはわたしにできないものね。

涙が出た。

物心ついた時から
自分でも驚くほどに泣き虫で、

「泣いちゃだめよ」

と言われることが、
何よりも酷な仕打ちだった。

それくらいに‘ 泣く ’という行為は
身近で、自然で、抗えないものよ。
わたしにとってはね。

涙をひとつの表現だとして、
わたしは立派な表現者なのだけれど、

それでいて
わたしは愉快な研究者だから、
涙の成分を調べたりもする。

わたしったら、愉しいでしょう。

今日の涙の成分は、
希望 大さじ1と、
自己愛 が少々。

お仕事でサポートしたお客さんにね、
素敵な恋文(らしきもの)をもらったの。

メールなのでテキストなのだけれど、
愛を丁寧に織り込んだような言葉たちにね、
心が解ける音がしたよ。

お花を愛でるように、
大事に想っていたお客さんだったから、
それはそれは嬉しくてさ。

それに、わたしはつくづく、
報われる仕事をしている。

でも、今日のわたしが流した涙は、
わたしの何かしらが報われたわけでも、
愛を折り返されたわけでもなかった。

そもそも、わたしは働くことを、
報われるためにやっている訳ではない。

わたしがやれることを、
やりたいと思えることを、
なんとなく世界から掬いあげる。

ただ心の赴くままに、
優しく一生懸命に磨きつづける。

シンプルに、
その行為が好きなんだなあと思う。

そのちっぽけな様が
可愛いんだなあと思う。

そして、それがふいに報われる。

顔も知らない誰かから拍手をされたり、
ありがとうと手を握られたりする。
ものの例えだけれど。

涙が出たのは、
わたしのちっぽけさに
価値をつけてくれる。
そんな世界に住んでることが嬉しくてね。

だって、そうでしょ?

そんな世界に住んでいる限り
わたしの目や手が届かないだれそれにも、
同じように価値をつけてくれるひとが
ちゃんといるのだと。

それは、それは、
救われる気持ちだったよ。

なんと、なんと、
わたしの住む世界は
希望を含むのだともね。

ひとは無力ね。

それで言うと、
世界は無力の群れ、ね。

悲しいことかな、
わたしは愛しいことかなと思うよ。
(愛し/radwimps がだいすき)

無力、とは
「力が無いこと」じゃなくて、
「力が無くても生きられること」だ。

人間はそうプログラムされている。
と、研究者のわたしは思う。
(案外、楽に生きられるものなのよ、きっと)

だからこそ、
好きなあの子を想うと力が漲るだとか、
好きなものに力を使いたいと思うだとか、

それが思い込みでもいいから、
行動自体が立派なものじゃなくていいから、
自分の目の前に
愛しい対象を持ってきてみたらいい。

もちろん、義務じゃない。
人間が行使できる、素敵な権利よ。

なににしろ、信じたいものだけを、
信じるがままに、信じたい分だけね。


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