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雨脚とワルツ

夜だ。ひどくかなしい、夜だ。何があったわけではない。ただ、ただ、ひたすらに、何者でもない何かに暴力を受け続けていた。気付けばわたしはシャワーを浴びていて、また、気付けばわたしは何も身に纏うこともせず、膝を抱えて泣いていた。どんな風に泣いていたかと言われれば、数分前なのに思い出せもしない。雨雲に顔を埋めたお月様にでも聞いてみたら、と静かに捲し立てた。

ふと、弾かれるように腰を上げる。そのまま闇に縺れさせるはずの足をだらり床に這わせ、橙の照明ひとつ灯した屋根裏部屋に忍び込む。滴る涙を拭うこともせず、右手の人差し指で静かにパソコンの電源を入れた。呆れた。中々に時間がかかりそうだ。こんなときくらい、と、言いかけたことばを深く飲み込む。かなしみの渦に飲み込まれてはいた。ただ、意識だけは手放さないよう、徐に力んだ。そうね、こんなときこそ、と、窓の外の降りしきる雨と共に息を潜め立ち上がるのを待った。やがて立ち上がったそれに、眉はぴくりとも動かない。喜びや嬉しさらしきものをなにひとつ感じる、ただそれだけの余裕さえないことにはたと気付き、ただ、気が付くだけでどうにも出来ず、やけに冴えた頭でことば降らせている。

ひとつ、問うてみたい。じぶんという人間に表と裏があったとして、その裏側にはひどく黒々しい何かがこびり付いていたとして、あなたは裏側を覗き込むことをするだろうか。態々、そこまでしても見たいという、怖いもの知らずで前のめりな好奇心があるだろうか。もしくは、いつか見たいと、見なくてもいいから人づてでいいから知りたいと、思うだろうか。わたしは、

所謂、コンプレックスがある。24年間、永らくお付き合いしてきたものだ。生まれつきわたしにまとわり付いていて、このいのちを終えるときも、おそらく等しく。目に見えるものであるが故にわかりやすく、隠せるものであるが故にわかりにくい。無理強いすれば人様に見せられるものではあるが、好き好んで見せるものでもない。それによって人生をめちゃくちゃに壊されたわけではないが、それによって守られたものもひとつだってない。

惨めで、醜い。哀しいったら仕方ない。24年間ぽっちの人生で、わたしは何度その感情をなぞってきたのだろう。そう思うと、それは立派なひとつの歴史だなと、呑気に思った。ただ、あまりに歪な年輪だと、あまりに不細工な結晶だと、呑気のうみに黒色の絵の具を数滴落としたりもした。

ただひとつ、救いであるとするのなら、痛い。未だにひどく痛むのだ。痛いから涙が出る。痛いからそこに水溜りが出来て、痛いからそれがうみになって、痛いからそこに住み着く生き物がいる。時折その魚が美しくも見えて、でもやっぱり痛くてどうしようもなくて、また、かさを増す。


『ごめんね。』

膝を抱えながら、何度も謝った。声にならない声で、謝った。わたしという人間は、未だきみを“わたし”の一部だと、受け止め切れない様だ。もっと言えば、目を逸らし続けている。永らくお付き合いしてきた、だなんて嘘だ。そんな美しいご近所付き合いであれば、どんなに生きやすいのだろうか。

お願いだからどうか消えておくれ、と何度も懇願した。どうしてわたしが、と馬鹿みたいに嘆いたことも多々あった。ただ、わたし以外の誰かにこの痛みを分け与えるという行為は、何よりも残酷なことなのだと知っている。ハッピーエンドはここには無いのだと、そんなものどこにも無いのだと、否応なく知っている。仕方がない、で片付けられるほどきみは易しいものではないし、それでもいいじゃないと宥められるほどわたしは優しいひとではないことも、十分に。十二分に。


『ごめんね。』

ごめんね、どうしたって赦せなくて。ごめんね、当分愛してあげられそうにも無くて。ただ、見限ることだけはしないよ、と弱気に囁いた声を、代わりに雨がかき消してくれたりもして。




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