今宵は冷蔵庫前で待ちぼうけ。
今晩は。
取り留めもなく、父の話をしてみたい。
わたしの父はと言うと
根っからの食いしん坊でね。
当時大学生の彼はひとり暮らしで、
小さなぼろアパートの狭いキッチンで
ビーフシチューを数時間煮込んだ
という話を聴いたときには、
ああ、このひとには負けるなあと、
めずらしく勝ち負けで彼を測ったわけです。
ついでに、
片方の腰に手を遣るあの癖は
もう既に染み付いていたのかな、と
染みのついたアパートの壁を思いながら
ふふんと笑ったりもした。
彼のごはんにかける想いと言ったら、
なんだろう、
『まずいものは食べたくない』より
『おいしいを食べ続ける』のエネルギーが
ひとまわりもふたまわりもおおきい。
そんな父に育てられた姉とわたしは、
知らず知らずのうちに
彼なりの“おいしい”を
とことん教えこまれていたような気がする。
そう感じたエピソードと言えば、
大学生になってはじめて
回るお寿司の中でもとびきり安いそれを
ぱくり、口に運んだ。
まあ驚いた。
友人がおいしいおいしいと頬張る姿を見て、
もう一度驚き直した。
あれは中々に印象的だった。
(あれの美味しさが今ならわかるよ、
なんなら好きだ)
、
さて、在宅勤務が始まり
おおかた二ヶ月ほど経つが、
まず始めてみたことと
まだ終わりが見えないことと
一日の中でいちばんの喜びは
すべておなじ、ごはんの時間だ。
もっと言うと、
ごはんを“つくる”時間にこそ
やたら思い入れがある。
『うん、そろそろか』
電波時計をちらりと見て
冷蔵庫をそろりと覗きに席を立つ。
冷蔵庫を覗くこと。
その行為が割かしおおまじめに
幼いわたしの趣味みたいなもので、
『お母さん、
牛乳の賞味期限もうすぐ切れるよ』と
逐一報告するような子だった。
わたしは一家の冷蔵庫を守る番人だと
きっとあの頃のわたしは本気で思っていたし、
わたしに耐性さえあれば
かくれんぼで冷蔵庫に隠れてみたいなとも
密かに思っていた。
うちの冷蔵庫は
あまり物をぎゅうぎゅうに詰めないので、
ひとしきり食材を見渡せる。
言っておくがお料理上手ではない。
ことばとおなじで、ただそれに恋をしていて、
永らく片想いをしているだけだ。
大事にしていることは、
栄養バランスと、それから
どんな器が似合うか想像してつくること。
ことばとおなじで、
上手にはならなくていいんだ。
下手なそれを上手に愛すからね。
そんなきょうの献立は、こちら。
・ドライカレー
(きのうの残り)(贅沢に卵を乗っけた)
・トマトとクリームチーズとおかかの和え物
・じゃがいものピリ辛きんぴら
・きゅうりのたたき(ほんとに本気で叩いた)
・湯豆腐(しょうがと葱をお供に)
・舞茸とわかめのお味噌汁
まあ、なんというか、
食材が美味しかった。(これ結構だいじ)
ごちそうさまでした。
、
産まれてこの方24年。
うちは父が“おいしい”を生み
母が“おいしい”を育ててくれたから、
すくすく健やかに
姉とわたしはそれと向き合えた。
ごはん、という
蔑ろにしようと思えばできるものを
いつも身近に置いてくれたことに、
昔から変わらず延ばしてくれたことに、
とびきりのありがとうを伝えたい。
そうそう、
昔から変わらないと言えば、
母のおにぎりがいちばん好きな父と
母の卵焼きがいちばん好きなわたし。
ことあるごとにおねだりをする。
『ねえねえ、おにぎり/卵焼きたべたいな』
わたしはわたしのために、台所に立つ。
何度も言うが、
特段上手くなりたいわけではない。
ただ、愛するひとにおねだりをされるような
そんな代物がわたしの手から産まれたのなら、
それはそれはほのかに甘い
それはそれは日持ちのする幸せだなあと、
こころが蒸されてみたりするものだから。
、
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