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organize my thoughts

これは、私がカナダにいたときの話

私は一年ほどカナダに住んでいた。学生の頃に海外に住んでみたい!と決めて、そこから4、5年ほどかかったが、仕事をやめGWの時期に私は渡加した。

カナダで暮らし始めて、衝撃を受けたことがある。

住んでいた地域のバスは、乗車券を運転手から買うか、事前に券売機で買うシステムだった。私がバスに乗っていると、一人の乗客がお札を出して乗車券を買おうとして運転手と話をしていた。運転手はお釣りを持っていなかったのかわからないが、突然「誰か1ドル(コイン)持ってない?彼女は、あと1ドル足りないんだ」と乗客に向かってアナウンスしたのだ。

私はそのアナウンスに驚いたが、さらに驚いたのが、若者がさっと立って、1ドルを渡したことだ。え、知り合い?お金はどうやって返すの?あげたの?と私の頭の中は疑問でいっぱいだったが、その乗客は笑顔で若者にお礼を言って席に座った。若者はちょっと得意げな顔をしながら、自分の席に戻って行き、バスは走り出した。

日本では絶対遭遇しない状況だなと私は思うのと同時に、さらっとお金を渡した若者に感心してしまった。

その後、私も歩いていて通りがかった若者たちに、電話をかけたいから25セントを持っていないか聞かれた。スマホもない時代だったので、外で電話をかけるには25セントが必要だったのだ。私はバスでのことを思い出し、彼らに25セントをあげた。

実はその逆もあった。どうしても電話をかけないといけないのに小銭がなく、お金を崩すところもなかった私は、悩んだが意を決して通りすがる人にお願いしてみた。するとお願いした最初の人があっさり25セントを渡してくれた。

他でもカフェで飲み物を買おうとしてトレーにお金を出していたら、小銭が少し足りなかったことがあった。私がお札を出そうとすると、店員さんがレジ横に置いてあったチップ箱から、足りない分の小銭を取り出してトレーに置き、「これで足りるね」と微笑んでくれたこともある。こんなようなことが日常でたくさんあった。

文化的背景の違いと言ってしまえばそうなのかもしれない。

思い出すと彼らは少額に限ってなのかもしれないのだが、お金の循環を気楽にやっていた。それがいいとか悪いとかではなく、自分が重く複雑に考えて、執着していたことに気がつかされた。

軽やかにお金が循環することをもうちょっと信じようと思う。






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