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番外編⑤:一度沼を脱出したオタクが鬱を経て再度沼に落ちるまでの話。

これは小学生で二次オタになった少女が大人になって一度脱出した沼に再度落ちるまでの物語です。
※ここでの沼は二次元コンテンツ全般を指しています。

第五章 大学入学と沼からの脱出

~あらすじ~
 オタク、オープンなオタク文化について行けず離脱する。

 周囲に合わせてオタ活をしていた私にとって転機となったのが大学進学でした。地元を離れ上京した私は、一人暮らしを始めます。
 大学生活は慌ただしく過ぎていきました。学友にも恵まれました。

 大学時代、私はほとんどオタ活をしていませんでした。集めた漫画は全て実家に置いていきました。ゲームも長続きしないのでスマホゲームもほとんどしていませんでした。

 二次元が嫌いになったわけではありません。ただ、テレビをつけてやっているアニメを楽しむ。それでいいんだと思うようになりました。簡単に言えば、「趣味」ではなくなりました


 その頃からアニメ作品が世間でも話題に上がる事が多くなっていきました。同時に「推し」「同担」「にわか」「古参」「強オタ」等のオタク用語が一般に普及していきました。
 スマホゲームの影響か「課金」という貢ぎ方が一般化していき、推しを追わないオタクだった私にとって完全に居心地の悪い界隈へと変化していきました。

 当時、大学で出会った唯一のオタ友は2.5次元参戦系オタでした。(彼女とは性格の不一致で最終的に縁を切っています)
 布教意識の高いオタだった彼女に誘われ、ミュージカルに何度か赴きました。こういう現場がある事はもちろん知っていましたが、実際に体験する機会を与えてくれた事には感謝しています。

 同時に、私には向いていない世界だとも改めて感じました。
 これまでも好きになる作品がアニメ化したり、ミュージカルになったり、声優ライブやゲーム化することは山ほどありました。ただ、全部を履修したいと思う気持ちはありませんでした。
 中学時代から感じていたモヤモヤ。オタク文化開花により皮肉にも私のようなオタクに名前が与えられました。「にわか」と。

 私はこの文化にいられないと実感しました。

 そんな私をサブカルにつなぎとめたコンテンツはゲーム実況でした。
YouTubeがここまで大きくなるとは思っていなかった当時。私はフリーゲームのストーリーを知りたくてゲーム実況を初めて見ました。
 ゲームがとにかく下手で長続きしない私にとって、ゲーム実況はストーリー内容を楽しみながら知れる夢のようなシステムでした。

 こうして私はおよそ7年ほど浸かっていた二次オタ沼から逃げ出す形で脱出したのでした。


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