ちょっとさよなら
友達の家で一泊して、
朝8時に一緒に家を出た。
これから仕事だという彼女をバス停までいって見送った。
空は快晴で、遠くの山々の稜線もくっきりと見えた。
バス停からほど近くの北野天満宮へ向かった。
朝の冷えた空気や木々のこもった匂いが気持ちよくて、人がまばらな境内をぐるぐると回った。
日向ぼっこしてる犬みたいに、自分の髪の毛をあたたかくしてぬくぬくした。
立ち尽くして、陽を浴びて
こんな朝がほんとうに毎日訪れているんだとしげしげと思う。
それからぐるぐると周辺をあさんぽ。
お勧めされたパン屋で、ホットミルクとパン2つを買って朝ごはん。
2つ買っておいて、1つでお腹いっぱいになったから、もう1つは鴨川の河川敷でのろのろと食べた。
12月になったのに、初秋みたいな気温。
少し食べては、寝転んで休んだ🐄
透き通った水といつまでもいつまでも晴れてそうな空を交互に眺めた。
幸せだと思った。
本当に奇跡みたいに幸せだなあと思った。
そのあと、図書館にいって本をぺらぺらとしたり、生活感ただよう住宅地を散歩したり
思いつくままに過ごした。
思いっきりの自由、異常なくらいの心地よさ。
時間は光の粒みたいに流れていく。
止まらず澱まず流れて、それが恋しく惜しかった。
京都にいるときはよくこの感情になる。
当たり前である。
京都は思い出の箱なのだ。
好きだった景色も、匂いも全部揃っている、そんな箱。
もう全部を綺麗に仕舞い込んだ箱なのに、
何度もひっくり返し続けている。
旅行だ、サークルのなんだと色々と理由をつけて、この箱をひっくり返した。
そうして、たまに東京にいる時
その箱の中身を蒸し返して
「ああやっぱり、前の方が良かった」
と心底落ち込んだ。
前の方が良かったって思っているとき、人はけっこう惨めである。
本当は、すぐに新しいところに馴染んでうまくやれているはずだった。
自分ならそれが容易くできるとどこかで思っていた。
結局今は馴染めない〜慣れない〜とか言っている暇なく、慌ただしくハムスターみたいに動き回って、なんとか丸くやれているけれど
心がついていかなかった。
でも、だからといって
もう過去に何か心慰めてもらおうとするのはやめにしようと思う。
この葛藤は東京にいかねばならんと決まった日からずっとしてるけど、あの1日で少し吹っ切れた気がしたのだ。
だから今は少しだけ京都離れしようと思っている。
多分また戻ったら、うう京都ォとなるのだから
地元より京都に行っていたこの一年。
予定は後付けで、多分いきたかっただけだし会いたかっただけなんだと思う。
現実逃避とかじゃなくて、好きだったから
本当に笑えるくらい、環境の変化に対応できない甘え小坊主である。
あのときまばらな小さい光が浮かび上がる夜景を車の中で半分寝ぼけながらのぞいたとき
あまりの居心地の良さにどうにかなりそうだった。こんなに夜は静かなんだって、もうずっと知っていることなのに、果てしなく遠いものに感じて急に辛くなった。
ここまで書き連ねて、メンタル豆腐な自分に嫌気がさしそう。
とりあえずね、馬鹿なふりしてここに馴染んでみたい。
染まりたくはないけど、普通に前向きに
楽しくやってみたい
多少うまくいかなくて惨めになってもいいから今はまだちょっとここにいたい
環境の変化はね
今までもずっと、最初の一年が山だったんだ。
いつか時間が解決してくれるかもしれないけれど忘れたいわけじゃないから
吹っ切れたい、でも繋がってたい
上手な思い出との付き合い方を考えていた。
だからもう少しだけさようならする
ここでこれから楽しいこと、きっといっぱいあるよ、自分へ
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