そういう時
電車が止まって、斜めに座っていた女の人が立ち上がった。
同時に紺色のハンカチが落ちた。
隣にいた人は落ちたそれを横目でみたあと、また視線をスマートフォンに落とした。
女の人は気づかずにそそくさと降りて、階段へ向かっていく。
立ち上がろうとして、足の指先に体重がかかったまま、その一部始終を眺めていた。
いつもだったら迷わず拾ってるはずなのに、何故かその時は動き出せなかった。
電車が動き出して、取り残されたそれを眺めていると、何ともやるせない気持ちになった。
ハンカチごときで大袈裟かもしれないけれど、苦しかった。
誰も見てなくても、自分はみているというものだ。
ここ2週間くらい、本当に人生で5本指に入るくらい最悪な気分だった。
人生がここらでぷつりと終わってしまった方が良いような気がした。
理由は本当に分からないんだけど、
無力感や息苦しさみたいなのがなみなみにあった。
親友には、今いる環境がもこたにはあってないんじゃない?と言われた。
親友は多分、私の何倍も明るい人だとおもう。
もちろん落ち込んでいるところも散々見てきたけれど、それを含めて彼女は明るい。
泣いてても怒ってても、背景の色はいつも同じ薄いピンク色な人なのだ。
私はそんなところに惹かれて大好きになったのに、それすら見ていて辛かった。
街は夜でも明るくて、こんなにも人が多いのに、心底寂しい気分になった。
でも元気な誰かと一緒にいるのも気疲れした。
何をやっても上手くいかない気がして、今やっている事がひどくしょうもなく、無駄なことに思えた。
だいたいの嫌なことは寝たら忘れる鳥頭具合ははこういう時に発揮されて欲しいのにな。
このよく分からないどんよりした気持ちは2週間くらい続いたけれど、
最近大学の同期に会ったりして、少し元気になった。
その矢先に、その電車に乗り込んで、
女の人がハンカチを落としていったのを見た。
生きていて、そこそこ大事な要素で
瞬発力ってものがあると思う。
今と思った時に動き出せたら、結果はどうであれ少なくともあの時って後悔しないし、消えない火がくすぶり続けることもないだろう。
人生で落ち込む瞬間はけっこうある。
いつだって隣の芝生は青いし、
できることは少なく、課題は多い。
誰といたって本当のこと誤魔化したくないのに、どうでも良くなって曖昧に笑う
同じ毎日は加速して、歳なんてすぐにとってしまうだろう。
そんな時、励ましてくれるのは行動を起こしたって事実だけなのかもしれない。
そのためにあの時ハンカチを拾いに行く自分でありたかったと思う。
でももし、動けなくなってもあんまり自己嫌悪にならないようにしたい。
無気力な時、落ち込む時、元気になる時。
人生には時宣というものもあるだろうから。