読書感想文

十二人の手紙

 ミステリーとかそんな事はどうでも良く、井上さんの発想が素敵だった。一人の女性の一生を届出だけで表現する。私は無知だから、初めてこんな手法があるのだと感動した。

 私は全然手紙なんてものは書かない。時々直接人に伝える事が恥ずかしいと思い、送り手への思いを書いた手紙を手渡す程度だ。近況報告であったり、自分の周りで起きた問題を誰かに手紙を書いて伝えるという事はまず無い。snsに投稿して知り合いに伝える事が多い。これは本当に伝わっているのかどうか不安になる。会話は話している相手を考え言葉を選ぶ、手紙も似たようなものだろう。でもSNSになると自分はポジティブに考えているものも、ネガティブな文章として読まれている事がある。たまにその”いいね”は本当に良いと思ってる?って考えてしまう。まぁ考えたところでどうにもならない話だけれども。

 長くなったけれど、とりあえずSNSを使う現代人の私だからこそ手紙を書きたいと思わされたのかと。友達に手紙送ろうと思ったけれど住所を知らない事に今更ながら気がついた笑笑

自分の中に毒を持て

「美しいというのはもっと無条件で、絶対的なものである。...ひたすら生命がひらき高揚したときに、美しいという感動がおこるのだ。」

 すごい同感。綺麗な人と美しい人っていうのは全く別のものだと思う。極端に言えば時代にあった顔立ちを綺麗な人、自分で時代を作ってる人が美しい人だと思ってる。後者の例がココ•シャネル。ココ•シャネルって今見ると鼻筋の整った綺麗な顔立ちだなって感じるけれど、彼女が生きていた時代では彼女は決して綺麗とは言われなかった。彼女の時代では、少し膨よかな女性が綺麗だと言われていたらしい。綺麗の基準は国や時代によって変わるけど彼女はそれまでの綺麗の基準を大きく変えた。つまり彼女が歴史を変えたって事。結構彼女の事は尊敬している。シャネルの商品は一つも持ってはいないけれど笑笑

 もう一つ私が美しいって感動する場面がダンサーやスポーツ選手がゾーンに入っているのを見た時。ダンスとかになるとあまりに集中しすぎて本当に失神してしまうらしい。ある意味でイっちゃってるのかもしれないけれど怖くもあり、羨ましいとも感じる。深い集中ができる程のめり込む事ができるのは本当素晴らしい事だと思う。わたしは邪念に負けてしまう、どうしても他人の目とか、失敗を恐れて集中が途切れてしまう。終わった事として書くと高校の部活では同じ高校の部員の応援が苦手だった。時々本当にやめほしいとか思っていた。 

他人の目も声も掻き消す、むしろそれらを強みに変えらるようになりたい。私は決して綺麗な顔ではないけれど美しい人になりたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?