遺書に近い。

午後、疲れて少し横になったら2時間ほど寝ていた。

17時半頃、久しぶりに「妻」に電話を掛けた。約1時間弱。こんなに話したのはいつ以来だろう。でも、(最終的には)かなり消耗した…。

「帰りたい」
と私が言ったら、
「はぁ? そんなの想像できるの?」
「えっ?」
「想像できんの?」
って感じの会話。(最初はかなりきつい口調だった。)
「帰れる自分に少しは近付いたと思う」という話を一生懸命にすると、
「『自分はこんなに頑張ってるのに、お前はそれを認めてくれないのか?』って私を責めてるわけ? 私だって頑張ってるわよ。そんなこと、考えたことあるの? 『俺はこんなに頑張ってるからちゃんと認めてくれよ』って、私への悪口やん。」
「いや、全然責めてるつもりもないし、そういうふうに受け取られるとつらいんだけど…。」
「私が私で悪かったなってときどき思うわ。私じゃない人とだったらもっと上手くいってたかもしれないのにって。そんな人と出会えればいいのにって、思うわよ。」
「いや、私はただ家に帰りたいし、あなたたちと暮らしたいし、それだけを思って1年間生きてきたんだけれど…。」
「それは無理ね。思いが違ったね。そのことが分かっただけでも、良かったんじゃないの?」
と、かなりさばさばとした感じで。

「じゃあ、私は全然それを望んではいないんだけど、何で離婚しようってことにはならないの?」
「それがねぇ、なんでだか分からないのよねぇ…。」
とまるで他人事のように。
「誰かに教えてもらいたいくらい。」
って。

5分か10分か、私が延々と「情」に訴えることなど話していると、ほとんど相づちもないまま、やおら、
「あのぉ、電話、あと10分くらいでいい?」
って。
「ああ、そうだね。長くなってゴメン。」
「うん。」
「…でも、それは、私がベラベラ喋るのが不快な感じ?」
「はい?」
「いや、『あと10分くらい』ってのは、もちろん電話が長くなっちゃったこともあるけど、そうじゃなくて、聞くのが不快な感じなのかなぁと思って…。」
「ううん。相変わらず良く上手に喋るなぁと思って。(笑)」
「だって、1年間帰ることだけを考えてたから。でも、それはもう無理ってことなんだね? いくら話しても変わらないってことだよね?」
「変わらない。うん。きっと。変わらない。変わらない、です。」
「………。」

「繰り返しになるし、それがまた『認めてくれよ』って悪口に受け取られるとイヤなんだけれど、私、あまり怒らなくなったし、人のことを悪く言ったりもしないし、少しは『帰れる自分』になったと思うし、とにかく、帰ることだけを考えて1年間を過ごしてきたんだけど…。」
「でもそのことは、別の違うことにも良いように出ると思うよ。」
「いや、帰ることだけを思ってました。あなたたちと暮らすことだけを考えてました。」
「それは、想像できない。」
ときっぱり。
「私は今、将来のことを思っているの。」
「将来のこと?」
「子どもたちが巣立っていったら、私はひとりで暮らすわけでしょ? そのときどうやって暮らそうかと。」
「そこにも私はいないんだね…?」

「つらい話だった。」「ショックすぎて何も考えられない。」「これまで、いつか「家」に帰ることの出来る日が来ることだけを考えて生きてきた(だってそういう「約束」だったし…。)。でも、明日から、今から、どうやって生きていけばいいんだろうって、ちょっと気持ちの整理ができない。」「でも、つらいけれど、自分の期待がまったく誤っていたということがわかって、その意味では話ができて良かったんだろうと思う。」…なぁんて話をした。

そして、リミットの10分になる頃、昨日ラジオの終わりでも話した、こないだのアゲハチョウの話を急いでした。「そんな日々のいろんなことにも、あなたのことや**くん(息子)のことを思うんだ。今日は電話があるんじゃないか? 手紙でも届くんじゃないか? 何かの良いことが起きる兆しなんじゃないか? って。」

だけどそんな話もきっと彼女の心の底にはもう届かない。明るく(きっと)笑顔で電話を置いてくれたんだけれど、それさえもまた、悲しい。