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かけら。

ラジオ「文芸選評」。今日は短歌の週。撰者は岡野大嗣さん。兼題は「かけら」。とっても良い回だった。(病院の帰り、番組の途中からだったので、今、聞き逃し配信で改めて聞き直す。)

「たやすみ」は自分のための「おやすみ」で「たやすく眠れますように」の意
部分点もらった和訳川べりの散歩に季節だけを間違えて
児童書の口絵に入るような夜駅に向かって桜を抜ける
半分を塞げば半音高くなる縦笛の穴みたいな気持ち

(表記は不明。)

上は、撰者の岡野さんの歌。どれもいいなぁ。
6月30日まで鳥取のカフェで個展「嬉しい近況展 ~ことばが歌になるとき~」を開かれているそうな。行きたいなぁ。(ETCカードが無いんだけれど…。(~_~;))

消しゴムのかけらのための箱があるちょっと自慢の職場なんです
たくさんのビニルのかけら落ちていてあの夜のこと誰も言わない
レコードに針を落とせばまだ君の耳のかけらが降るような夜
遠泳の褒美砕けし氷砂糖多恵先生のふっくらした手で
真夜中にこっそりポテチ食む音が消えて彼には夜の始まり
いつからが夏か分からぬ夏日来てかけらのような夕陽が沈む
ひとつひとつかけらをあつめまつしろな宇宙をつくるじぐそうぱずる
青空のかけらだよって金平糖転校してもブランコに乗る
放課後の二年五組の窓辺からホルンのかけらきららかに降る

(投稿歌。表記は不詳。)

「「屑(くず)」って見ているものを「かけら」と捉えることで詩が生まれたりする。」「「屑」って捉えないために短歌してる。」と岡野さん。そのことばもまたいい。

三年(みとせ)見ぬキミに会いたい夢ででもすべてじゃなくてかけらだけでも

こじか、詠む。

あまりにストレートすぎて、駄作。

今の「部屋」には、息子のかけらはほとんど何も無い。お風呂の石鹸受けの吸盤を息子が付けてくれたので、その位置だけは今も守っている。

◇っくんと別れて三年会うことも叶わずかけらも見つけられない
お風呂場の石鹸受けの吸盤にキミのかけらを求めてみたり

こじか。

同じく、ストレートすぎて…。