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龍の背に乗れる場所 10

 映像界に復帰してからは、飛ぶ鳥を落とす勢いだった。

 相田菜留未《あいだなるみ》、それが穴井留美《あないるみ》の新しい名前だった。残念ながらアナルゥと言う渾名は変わらなかったが、それでも違うステージに立った彼女は一躍トップスターに躍り出た。

 アイドルAV女優。それが新しい彼女の肩書だ。
 元々、整った顔付きと、プロポーションの良い身体だったのに加え、抜群に感度の良い身体を持ち合わせていた彼女は、『演技っぽさが無い』と、多くの男性層から人気を集めた。実際、彼女は演技などしていなかった。

 男優の愛撫が始まると数分も経たずに絶頂を迎えたし、本番中などイキ過ぎて何をされているのか記憶すらなかった。

 数々の制作会社、複数人の監督から声が掛かり、バラドル時代には出来なかった仕事の選り好みが出来るようになった。

 しかしそうであっても、一人勝ちは長く続かなかった。世間一般的には下劣なものと捉えられがちなAV業界であはるが、全ての制作会社は本気であったし、またその門をくぐる新人AV女優達も本気だったからだ。

 彼女の出演する作品は、徐々にではあるが売上が下降して行った。なので彼女は人気を維持する為に、よりハードな演出に拘ったし、更なる境地にも立ってみせた。

 グラフが下降する度に再浮上する為の策を練る。そんな事を繰り返して、考えられ得る、ありとあらゆるAV的な事をやり終えた彼女の人気は、やっと横這いになり、そこで初めて自分を見つめ直す余裕が出来た。

 そこには、かつて憧れていた物は欠片も無く、自分という存在すら、あやふやになっている現実があるだけだった。

 幸い、給与は出来高制であったので、仕事を受けるのも断るのも自由だった。彼女は仕事量を極端に減らし、年間一本程度に留める道を選んだ。

 アイドルAV女優。その肩書は今も確かに彼女のものだ。しかし同時に、その肩書に縛られて何も出来なくなっているのも、また事実である。

 彼女はこの、卑猥で中途半端な立ち位置を、どうにか変えたいと思っていたが、どうにもならない事も、よく解っていた。

 此処で彼女の人生は固定され、チェックメイトとなったのだ。

 ・

 ――犯人は未だ逃走中で、警察は監視カメラ等による車両の割り出しを急いでいます。警察関係者が同様の手口で殺害されたのは今月に入ってから――


 酷い格好だった。ゴミの上で半裸になり、何故か両手にブランデーの空瓶を持っている。右腕の感覚がジンジンと痺れたようになっているのは、その上でスヤスヤと眠っているアナルゥのせいだろう。

 但し、ジンジンしているのは腕だけで、何時も起き抜けに襲い掛かってくる偏頭痛は姿を潜めていた。これが酒の違い、数十万と数千円の違いなのか。

 どうやら私は、何時の間にか眠ってしまい、その後でアナルゥの玩具にされたらしい。まあ何時もの事なので、その事については諦めているが。

 室内は適温が保たれていて、暑さで起こされる事もなく、点けっ放しになっていたテレビから流れるニュース番組が、遅い目覚ましの代わりになったようだ。


 ――続いてのニュースです。大蛇伝説で有名な栃木県、那珂川にある龍門の滝では、行楽シーズンを迎え、多くの小学生が滝滑りを楽しんでいます。併設された無料キャンプ場には連日多くの観光客が――


 テレビでは海パン姿の小学生達が、楽しそうに滝を滑りながら笑っていた。友達や兄弟と一緒にはしゃぎ、テレビカメラに向かってVサインをしていた。

「楽しそうだなぁ……」私は無意識に呟いた。

「ん……、なにぃ?」アナルゥが寝ぼけた声でそう返してきた。

「滝滑り。いや、違う。みんなで集まって遊ぶ事かな。きっと楽しいに違いないよ」

「うぅん……、じゃあさ、アタシ達もみんなで遊べば良いんじゃないのぉ? 知り合い呼んでさ、どこかで集まってワイワイやれば楽しいんじゃないのぉ? アタシは友達いないけど……ふぁーぁ……」

 アナルゥは、私の腕枕の上で大きく伸びをしながら欠伸をし、また目を閉じてしまった。

 みんなで集まってワイワイね。確かに楽しそうだ。

 私はその光景を思い浮かべ、一人ほくそ笑みながら微睡み続けた。