見出し画像

<単語帳>선율:旋律

ENHYPENの横浜アリーナの感想を載せる予定が、纏まらない事甚だしく、諦めて単語帳の更新をすることにしました。

それでも端的にコンサートの感想を述べるなら、横浜アリーナの天井席からみる全体の俯瞰は、壮大な夜の叙事詩でした。(DARK MOONだったよ)
ENGENE棒の輝きが、大海の波が月光に煌めくようで静謐で美しかったです。
シーンにより変化する色彩と、揺れる光彩の波。

ENGENE棒の光量の改良はあるんだろうと思うんですが、今のengeneらしさのあるデザインは活かして欲しいなぁと思ってます。
(たしかにてっぺんのEN-はいらないかもしれない、、)
あ、そうそう、私のENGENE棒、アンコール時にバッテリー切れちゃったので、電池交換しやすいと良いななんて思いました。
(替えの電池持って行ってたけど、3本入れ替えるの、結構大変!)

コンサートの感想というと、普通メンバーの印象とかになるかとは思うんですが、いかんせん、正面とはいえスタンド席後方だったので、客席全てを俯瞰してステージを観る席でもあったんですね。
アリーナの良さ、スタンド席の良さは、全く別の所にあるんだろうなと感じました。

私のようなファンには案外スタンド席は良かったんじゃないかと思ったりもしてます。
会場全体を俯瞰できるのはストーリーを追うには適していたと感じたので。
とはいえね、VIP席とか前列保証があるシートの販売があったら絶対にそちらに投入しますけど!

선율:旋律

さて、선율:旋律・メロディです。
私は韓国語に触れてこなかったと思ってたんですが、ばっちり聴いてたことに先日気付きました。
大好きで未だにキーボード(楽器の方)を手放せない理由でもある坂本龍一氏のオンラインライブが12月11日にあることもあって、楽曲を聴きまくっていたんですね。
で、あれ?これ韓国語のラップだったんだ、って手が止まって。

Undercooled
MC Sniperによるラップ。ピアノでの演奏の方がいっそう言葉が迫るので、こちらを貼っておきます。(教授のピアノだったら一層良かったんですけど。)

この楽曲が入っているアルバム:CHASM(2004年)をめちゃめちゃ聴いていたので、この楽曲の歌詞カードも読んでたんですよね。
畳み掛けるようなラップで、だからこそ胸をつく、そんな楽曲だと思います。

このラップの冒頭に歌詞カードに日本語訳がついていない部分がありました。
聴き取りでもはっきりわからないパートなので、謝辞・宣言のようなものかもしれません。

나는 진실을 원하네 또한 자유를 원해
나를 울리는 선율에 젖어 평화의 시를읊네
나를 울리는 선율에 젖어 평화의 시를읊네
undercoold

”私は真実を欲し、また、自由を欲する”
”私を泣かせる旋律にのせて、平和の詩を詠む”

パパゴ翻訳を頼った訳なので、ニュアンス違うかも、すみません。
そのざっくり訳でも切実な美しさを感じたので。

MC Sniperというラッパーがどういう人なのか、ネットで検索してみたら、韓国ラッパーの第一世代と言われる方らしい。

私はラッパーってギャングスタの極端なイメージで出来上がっていた偏見ガチガチの人だったんですね。前にも書きましたが、Eminemは良いと思うけども、、というところで留まってました。
自分の心情に近いロックに比べて随分と遠い存在で、一番苦手な質の攻撃性を伴っているイメージだったんです。
なので、反戦の歌と知っていたUndercooledをラップと思って聴いてなかったんですね、反戦を歌うラップというのが繋がらなくて。
二胡(弦楽器)の奏でる音色に、ビートを刻みながら澱みなく続く言葉を「旋律」として聴いていました。

なので、勉強を始めた今、言葉として聴くと印象が違います。

MC Sniperを調べた時に出てきた記事を二つ。
ひとつは、古家氏による書評ですが、韓国の音楽ムーブメントがサクッと書かれているので。
K-popのアーチストさん達が古家氏を慕う理由もこの書評でわかる気がしました。
文化へのリスペクト大事ですね。

二つめは、Epik High繋がりで。BLONOTEの後書きを書かれている鳥居咲子氏がTABLO氏にインタビューした記事です。
日本と比べるというスタンスが鳥居氏のインタビューには色濃くでているので、私的には、自分がラップに馴染まなかった理由がなんとなしにわかった気がする記事でした。

ちなみに、TABLO氏のBLONOTE良いですよ。
日本語訳で入手したんですが、韓国語の勉強には原書も入手しようかなと思います。
1頁にひとつの良文という構成ですが、日々を、気持ちを、言葉を、丁寧に選ぶことをスッと教えてくれる本だと思います。

美しい旋律は、世界共通語ですが、のせたメッセージには言語の壁がある。
言語の壁ゆえに旋律に身を委ねられる側面も然り。
そのdilemmaは、歌詞のある音楽がずっと抱えていくものなのか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?