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今までで一番痛かった話&生理痛の話

山根あきらさんの企画に参加させて頂きます。

私が三十代の頃、勤めていた中学校でとってもやんちゃな学年があり、地元施設への宿泊行事で悪さをして帰って来た。たしか落書きか器物破損だった。

すると翌年、次の学年はその施設に行くことは叶わず、校長のリーダーシップにより「もっと充実した活動を!」との言葉のもとなぜか「御嶽山登山」に行くことになってしまった。

子供たちも、引率教員もひと通りの登山の準備をして出掛けた。携帯酸素ボンベや、登山靴などはこれまで縁のないものだった。
そして私は、かねてから痛みを感じていた足裏の魚の目を市販のパッチで治して臨もうとしていた。そして迎えた当日、足の裏の皮が予想以上に大幅にめくれてしまい、内側から赤い皮膚がまる見えに・・・。痛い!歩く度に全面傷口になっているのも同然でひりひりするし、足を着けられないくらい痛かった。そういえば人魚姫に初めて足ができた日に歩いた痛みはコレだったのかもと思いつつ、あまりの痛さに悶絶した。
しかし、登山に行かない訳にはいかない!

保健の先生にガーゼと包帯をもらい両足をガーゼと包帯で巻いて出発することになった。

起床時刻午前5時30分、出発時刻午前6時30分だ。痛みに耐えながら記憶がなくなるくらい歩き続けた。

そしていつしか周囲は悪天候となりホワイトアウトしていた。もう自分の前の生徒も後ろの生徒の姿も見えない。

道がどこにあって、どっちにつながっているのかも全く分からない中、崖のような斜面を歩き続けた。どうやって帰って来たのか説明もできないような状況の中、宿泊所に辿り着いたのは、午後6時過ぎだった。

確かに、これなら悪さをする元気もなかろう・・・。
大人も何もする気力がなかった。

夕食の所員さんの話で
「今日はあいにくこれまででベスト3位に入る悪天候の中、無事に帰ってこれて良かった」

その言葉を聞いてぞっとした。
本当に無事に全員で帰って来られて良かった。
今の時代なら、出発はしなかったことでしょう・・・・・・。


本当に足も痛かったのですが、恐ろしい登山でした。
今となっては、どのルートでどこまで登ったのかも記憶にありません。
この職業を続けていると、危険な場面に遭遇することがあります。
自分の周りのお子さんや、自分も無事にいられるのは、何かに守られているとしか思えないようなことも時折あります。(書けないけど・・・・)

ちなみにこの話の校長先生もとても素敵な方でした。カーネルサンダーのように上下白のスーツを着て、頭はスポーツ刈りで毎朝校門に立って登校してくる生徒や地域の方に挨拶をしていた姿が思い出されます。生徒や職員の話をよく聞いて対話をして下さる方でした。荒れた学校を建て直す使命をもって赴任されたのだと思います。職員の誕生日には自宅に百貨店からはんかちの贈り物が届きました。(全職員に)

もう一つお題がありました。

生理痛の痛みについて

先日のあきらさんの音声記事を拝聴しました。
「石」は本当に痛いと聞きます。お大事になさって下さい。

生理痛とのつきあいは、たいていの女性にとって十代からの長いおつきあいとなる。この痛みは、子宮が収縮することによって起こる。不要になった子宮内膜を体の外へと押し出すためだ。

なので、痛さを表現するなら、内蔵を内側からえぐられている、または、絞られているような痛みである。うずくまりたくなるような痛みである。
益々分からないと言われそう・・・。

この生理痛が、出産時の陣痛と同じ種類の痛みであることは、後に出産を体験する時に知ることになる。この場合、子宮から赤ちゃんを外へと押し出すための痛みとなる。

また、私のように流産を経験された方は御存知だと思いますが、この場合も薬によって子宮を収縮させるため、流産も出産と同じ種類の痛みを味わっていることになる。赤ちゃんになれなかった子宮の内容物を外に押し出そうとするためだ。


ところで、出産時の痛みときたら、生理痛と比べられないくらい痛みました。生理痛の何倍に感じるかは人それぞれかと思いますが、恐らく
生理痛×10倍~100倍=出産時の痛み
といったように人によって感じ方の幅があるように思います。
赤ちゃんの頭のサイズを想像して下さい。
あのサイズが体の中から出てくる訳ですから今でも信じられません。

そして余談ですが、出産が済んだと思ったら今度は上が痛くなります。
これからの方は是非、電動搾乳器を出産時の入院グッズに加えて頂きたいと切に願います。赤ちゃんの吸うう力は弱いのです。出口が開通していないのに、母乳が過剰に生産されるため、満杯になって痛くてたまらなくなるのです・・・・・・。