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知らないから言えること

私の実家の母は姑に仕えたことのない人で(仕えるって折れることじゃないですか?)、私が姑と小姑のいる家にお嫁にいくときまったとき、
<あんた、我ァ抑えなさいや、「自分はどうでもエエの」とか、「どっちでも」とか、考えたら、家のうちは丸ういくの。(後略)>
 なんて教えたものでした。若い私はそんなものかと思って、それこそ母の訓えを究極のマニュアルにして生きてきたのですが、今から思うと、いかにも、姑や小姑と同居したことのない人間の言葉ですね。
 自分の我を抑えたことのない人、<どうでもエエわ、私>と思ったことのない人が、平気でそんな教訓がいえるのですね。

田辺聖子「良妻の害について」(『薔薇の雨』)

大変な状況にある人に、逃げた方がいい、と言う人は意外と少ない。私も、若い頃なら間違いなく「しんどいやろうけど我慢し」などと言ったと思う。逃げたくなるような目に遭ったことも、逃げ遅れた人を目の当たりにしたこともなかったからだ。今はとてもそんなことは言えない。

逆に、逃げた方がいい、と言われた側が聞く耳をもたないこともある。身を案じて声をかけてくれた人に、「十年くらい死んだつもりでいたら何とかなる」と答えたのはいつのことだったか。絞り出すように言われた「死んだふりするのは大変よ」を、私は聞き流した。上にあげた台詞を借りれば、「自分の我を抑えたことのない人、<どうでもエエわ、私>と思ったことのない人が、平気で「何とかなる」などといえるのですね。」というところであろう。

この台詞は、結婚以来ずっと我を抑え続け、そこにつけ込まれて夫や姑にないがしろにされている登利子(49歳)の心のつぶやきである。物語は、登利子がパート先でもらった最中を探すところから始まる。その大好物の最中は、姑が勝手に持ち出していた。

持っていかれた!と思うと、やたらに私の心の中は沸騰して、あふれかえってしまったのです。
 最中が食べたかった、というより、かなり昔から、自分の心の中に、もやもやと胚胎していたものが、積もり積って、もうどうしようもなく、(中略)
「意地悪ーっ。くそーっ」
と私はありったけの大声で叫んでしまったのです。

(同書)

叫んでいるうちにますます興奮し、怒号は次々わいて出た。最後の大怒号を聞きつけた夫が「何でそんな大きい声、出すねん」とやってきて言い合いになる。

「何が気に入らんねん」
「何もかもや」
「今まで、そんなこというてえへんかったのに」
「ゼンマイ切れたんよっ!」

(同書)

我を抑え続けた経験のある人なら、すっとしながらも、こんなことを言って大丈夫か、と思うだろう。しかしその後の展開はさらに痛快である。(2017.12→2024改)

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