知らないから言えること
大変な状況にある人に、逃げた方がいい、と言う人は意外と少ない。私も、若い頃なら間違いなく「しんどいやろうけど我慢し」などと言ったと思う。逃げたくなるような目に遭ったことも、逃げ遅れた人を目の当たりにしたこともなかったからだ。今はとてもそんなことは言えない。
逆に、逃げた方がいい、と言われた側が聞く耳をもたないこともある。身を案じて声をかけてくれた人に、「十年くらい死んだつもりでいたら何とかなる」と答えたのはいつのことだったか。絞り出すように言われた「死んだふりするのは大変よ」を、私は聞き流した。上にあげた台詞を借りれば、「自分の我を抑えたことのない人、<どうでもエエわ、私>と思ったことのない人が、平気で「何とかなる」などといえるのですね。」というところであろう。
この台詞は、結婚以来ずっと我を抑え続け、そこにつけ込まれて夫や姑にないがしろにされている登利子(49歳)の心のつぶやきである。物語は、登利子がパート先でもらった最中を探すところから始まる。その大好物の最中は、姑が勝手に持ち出していた。
叫んでいるうちにますます興奮し、怒号は次々わいて出た。最後の大怒号を聞きつけた夫が「何でそんな大きい声、出すねん」とやってきて言い合いになる。
我を抑え続けた経験のある人なら、すっとしながらも、こんなことを言って大丈夫か、と思うだろう。しかしその後の展開はさらに痛快である。(2017.12→2024改)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?