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言葉はアンテナになる

言葉を知ることはアンテナを持つことだ

もかこの手帖

いつだったか、長い付き合いの相手に、それまでしたことのない質問をしたことがある。数時間前に偶然耳にした面白い台詞を、言ってみたくなったからだ。すると相手がそれまで見たことのないような顔をした。

心底驚き、「今までと同じ行動をしていては今までと同じ結果しか出ない」といわ
れる意味が初めてわかった気がした。その言葉を知った時は「なるほど」と感心したが、実感を伴うことも、積極的に行動につなげることもなかったのである。言葉はアンテナになる、と思った。

こういうことを○○という、と知っていれば、「こういうこと」に出会った時、コレがアレ(○○)か! とわかる。「こういうこと=○○」が本当の意味で「わかる」のである。もちろん、先に体験があって、後に言葉を知った時、コレ(○○)はアノコトか、と気づく場合もある。しかし、感情や印象を組み立てるのは言葉である。○○を知らなければ、あり合わせの言葉を使うしかないので、どうしても記憶は曖昧になる。○○を知る機会が訪れる前に薄れてしまうかもしれない。

独逸語の教官でもあった内田百閒は、習ったことを「棒を嚥み込む様に」暗記しなさいと述べている。たしかに、日本語に訳してもわかりにくい抽象的な語、あるいは日本語とまったく違う組み立ての文など、「理解して」覚えることは難しい。そこで理解にこだわると先に進まない。しかし前もって言葉を入れてから進めば、どこかで理解に遭遇する。

解らないと思つた事でも、覚えて見れば、解つて来る。

「長春香」

(2020.12→2024改)

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