刺激しなければ、相手の心は掴めない
まえがきに「仕事における人付き合いのあり方について、僕は特に見城社長から強い影響を受けました。そうした目から鱗が落ちるような言葉が、この中にたくさん登場します」(藤田氏)とあるように、目次はさながら見城氏のアフォリズム集である。「刺激しなければ、相手の心は掴めない」もそのうちのひとつで、言葉を交わすところから始めなければならないコミュニケーションの、「基本」が説かれる。
五木寛之と仕事をしたいと熱望した筆者は、短文や対談にいたるまで、作品を見つけては感想を送ったという。それも単なる感想ではなく、「本人すら気づいていないような急所をつきつつ、相手の刺激になるようなことを書かなければならない」(同書)というものである。その努力は大作家の心を動かし、初めて会った日に連載を承諾してもらえるという快挙をもたらした。
では言葉を交わせる間柄ならそんな努力は必要ないか、というとそうでもない。親しく言葉を交わせるようになったからといって、相手の心に切り込めるわけではないし、そもそも言葉を伝えることと気持ちを伝えることは別物なのだ。ということは言葉以外の形でも気持ちを伝えられるということなのだが、遠く離れているなど、言葉でしかコミュニケーションがとれない場合もある。そんな状況で相手の心を動かしたければ、言葉の力に頼るしかない。
(2017. 12)
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