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失敗を恐れる理由

「機会」さえふんだんに得られていれば、
その結果なんて、ほんとは大事じゃないのかもしれない。
結果が重要視されるのは、
結果の良し悪しで
次の「機会」が増えたり減ったりしちゃうからで、
「機会」さえなくならないのであれば、
結果が失敗でもまったくかまわないのだと思う。

糸井重里『ボールのようなことば。』

なるほど、失敗を恐れる気持ちの本質は機会が失われることに対する恐れなのかもしれない。大学入試が年に何回も行われれば、(合格しやすくなるわけではないのに)受験生のストレスは軽減されることだろう。

だからこそ、現状を変えるには勇気を出して新しいことに挑戦を、などと言われても、失敗するくらいなら今のままでいい、ということにもなってしまう。しかし失敗したら本当に機会が減るのだろうか。試験や試合などはそうかもしれないが、たとえば人間関係の場合、この人は自分が怒らせたり呆れさせたりしても見捨てることはない(次の機会が減ることはない)、と思えれば勇気が出るのではないか。

自分には、好き放題言っていた男友達が彼氏になったとたん、言いたいことが言えなくなる、という悪い癖があった。不用意な発言をして失敗すれば嫌われる、と信じていたからである。

ところがある時、不注意な行動で相手を呆れさせてしまった。結構な剣幕で説教をくらい、「さすがにちょっとひいた」とまで言われたのである。もうだめだと思った私は、一人になってすぐ、近くのスターバックスの隅で目に穴があくほど(と感じられた)泣いてから帰る。

それでも次の機会はやってきた。そこで初めて、「この人は少々失敗したくらいで自分に愛想をつかすことはない」と思うようになる。以来、それまでなら言えなかったようなことが、少しは伝えられるようになった。

ところで、「目に穴があくほど」泣いた翌日、左目に違和感を覚えて眼科に行ったら、網膜に異常が見つかった。顔にボールのようなものがぶつかったり、目を強くこすりすぎたりしませんでしたか、と尋ねられたが、本当のことは言えなかった。(2019.2→2024改)


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