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気持ちを伝える極意

言いたいことを言うのと、伝えることは違う。「好きだ、好きだ、好きだ!」「わかって、わかって、わかって!」自分の気持ちを押しつけても愛はちっとも伝わらない。でも、相手が必要としていることをさりげなく差し出すと、「私のこと、大事に思っててくれたんだ!」って、コンマゼロ秒で愛は伝わる。

山田ズーニー『おとなの小論文教室』

大事なことほどうまく言えないという性質に長年手を焼いてきたが、これを読んで、言い方だけの問題ではないことに気づいた。言えないなら言えないなりに工夫の余地があったのではないか。

言葉を伝えたからといって気持ちも伝わるわけではない。それに、たとえば「好きだ」と伝えてその場でめでたしめでたし、となるのは相手も自分のことを憎からず思っていてくれた時だけだ。そうではない場合、手を変え品を変え好意を伝えられるよりも、自分が望んでいるものをそっと差し出してくれる方が心を動かされるだろう。心が動くことと好意を抱くことはまた別物ではあるが。

それなのに、いざ自分が誰かに好意や願いなどを伝える段になると、相手の心を動かすことより自分の意思を言葉にすることに集中する人が少なくない。なぜだろう。確実に言えるのは、そちらの方が「相手が必要とするもの」を見極めるよりずっと簡単だということだ。しかしだからこそ、絶妙のタイミングで手をさしのべることができれば何よりの意思表示となる。

その意思表示の目的は、願いを聞いてもらったり、いい関係を築いたりすることである。相手の必要をみたし合うことができれば幸せな関係にあると言えるが、さらに素晴しいのはみたし合っていることを意識しないような関係らしい。

「絶対に知られたくない欲求を、意識しないまま充たしてくれるから人間関係ってうまくいくわけでしょう(後略)」

村上龍『ストレンジ・デイズ』

ところが、「好きだ」とか「つきあって」とか言われずにつきあい始めたことが、女にとっては往々にして負い目となる。周りからはそうとしか見えないのに「私たちは本当につきあっているのだろうか」と言い出す人や、何かあった時、そのことを思い出して相手の気持ちを信じられなくなる人が多い。言葉なくして手をさしのべあうことができたと考えれば、負い目どころか誇らしく思っていいくらいである、と、大きな声で言いたい。  (2017.12)

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