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甘えるとは自分をさらけ出すこと

私が芯から甘えられる人に出会ったと思えたのは、野口先生がはじめてでした。私の言う「甘える」とは、べたべたするということではなく、信頼してすべてをさらけ出せるということです。
 私は夫や義母など、周りの人にたくさん助けてもらって生きてきましたが、からだのつらさに関しては誰とも共有できずにいました。(中略)野口先生にはそのつらさをすべて預けることができました。
だれにでも「甘えられる人」「甘えられる場所」が必要です。自分のつらい部分、弱い部分をさらけ出すだけで、からだもずいぶんよい方へ動きます。

天谷保子「甘えられる人をつくる」(『ありのままがいちばん』)

『ぐりとぐら』『いやいやえん』の作者中川李枝子さんは、もともと保母さんであった。学校を出たばかりの彼女を採用した園長が筆者である。子供たちは中川さんの自作のお話が大好きだったという。

筆者は、子供の頃から頭痛や左足の麻痺などで苦しんでいた。どこの病院でも原因がわからず痛み止めを常用していたが、保育園を始めてから症状が悪化し、成功率10%という首の手術を受けようかという所まで来てしまった。見かねた中川さんの父上が縁をつないだ先が、野口整体の祖、野口晴哉である。野口道場へ通うようになった筆者は痛みのない体を手に入れ、保育園閉園後、野口晴哉の最後の直弟子となった。

甘えるとはべたべたすることではない、とあえて書かれているように、普通は甘える=べたべたする、だと思われている。だからこそ、私も自分は甘えるのが苦手だとずっと思いこんでいた。しかし甘える=さらけ出す、だとすると、話は変わってくる。

つきあっている男の人になかなか甘えられなかっただけで、誰にも甘えられないわけではない。子供の頃こそ甘えるところがなかったが、大人になって人間関係が広がってからは、いつも同じ人ではないものの、常に誰か甘えられる人がいたような気がする。おそらく「べたべたするのが苦手」というだけで「甘えるのが苦手」なのではない。上手ではないにしても、特別苦手というわけではない。

しかしそうだとすると、つきあっている相手に対してのみ苦手、ということになる。何しろ、友達の間はさんざん甘えていた相手でも、彼氏になると無理が言えなくなってしまうのだ。不思議でたまらない。 (2018. 3→2024改)


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