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大それた夢を持つ

大それた夢を持つ。

もかこの手帖

年が改まると、今年の夢、一年の目標、そういうものを書きたくなる。以前、若い人へのはなむけの言葉を考える機会があり、「大それた夢を持つ」と書いたことを思い出した。努力すれば成就するようなものは夢ではない、という説に従えば、夢という以上、自分の努力だけでどうこうなるものではない。そこへ「大それた」夢である。叶う確率はかなり低そうだ。

しかしそれなら、実現に向かう気色がないというだけで落ち込むことはないだろう。むしろ、その夢を抱いていることで得られる、幸せな気持ちだけにフォーカスできるかもしれない。手の届かない人が振り向いてくれない、と不遇をかこつのではなく、その人を見るだけで幸せな気持ちになれる、頑張れる、という人はたくさんいる。

憧れをもって思い描かれ、その人の「極」になるのが夢の真骨頂である。たとえ叶わなくてもその日まではその役割を果たしているはずだ。「叶わないかもしれないけど手放したくない」「叶わなくても後悔しない」と言えるほどの夢であれば、それで充分である。その夢こそがその人を生かしている。

手の届かない人といえば、大学の先輩某氏は、「とても相手にされないだろう」だの、「彼女が物珍しさで遊んでやっているだけだ」だのと周囲が笑い者にしているうちに、いわゆる高嶺の花と結婚した。彼女の取り巻きの間では、「姫が山賊にさらわれた」と激震が走ったらしい。  (2018. 1→2024改)

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