大人のごっこ遊び

気軽に雑用を片づけるために、私は家の中でもいろんな役を演じることにしている。箪笥の中から好きな着物をえらび出し、鏡の前で念入りに着つけをするときは<女優の役>疲れて帰って、脱いだ衣類の衿を拭いたりたたんだりするときは<弟子の役>というふうに・・・。 

沢村貞子『私の台所』

これは面白い、と思った後で、自分が昔考えていたことを思い出した。

ダイエット、と思わずヘルシーごっこ、と思えば。いやなことは「ごっこ」にすればいい。昔おめかけさんごっこ、してたなあ・・・。そう思うと、大人のごっこ遊びはかなしいけど。

もかこの手帖

おめかけさんごっこ、とは穏やかではないが、要は自分から連絡が取れず、部屋で相手から連絡が来るのを待っている(誰もが携帯電話を持つ前の話である)、という状況を、そこだけ見ればまるでおめかけさんだ、いっそそう思っていた方が辛くない、と考えたのである。

弟子の役といえば、自分で選んでその役をやっている気がするし、弟子ごっこと言えば遊びの一環のような気分になる。いずれにしろ、やりたくない気持ちを多少なりとも引き立たせることができる。

もちろん、大人のごっこ遊びはたいてい、遊びではなくごまかしだ。「大人のごっこ遊びはかなしい」と感じたのはそのあたりであろう。しかし嘘だから悪い、ということはない。自分の目をくらますだけで、不本意なことを受け入れられるのならそれもよいではないか。田辺聖子さんも、人生はだましだまし保っていけばよい、と言っておられる(『人生は、だましだまし』)。  (2017. 8)

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