泣くな友よ
すごく私的な話をする。
物心ついたときから舞台上で演じることへの憧れがあった。
悲しいことも辛いことも、もちろん嬉しかったこともどんなことでも感情のストックとして個人的に胸にしまってきた。
いつか役に立つ日が来る、そう信じていた。
今月32歳になる私は子持ちの主婦で日々ワンオペ育児に怒り、家事に心を疲れ果てさせられ、仕事に関しても先行きがまったく見えない。そして夫とは一秒でも早く離婚したい。
幼少期どんなに理不尽な扱いをされても いつか、いつか必ずこの感情が日の目をみると思っていたのに、心が全部そちらへむいていたのに、今は違うことへエネルギーが向いている。
北海道から上京して数年は舞台に立つために活動もしていた。実際に数本立つことができた。ただ、それだけだ。
振り返れば浅い考えと若さと勢いで過ごしていた。将来のことなんてほとんど考えていなかった。
芝居で食っていくことにこだわるならばもっとやるべきことがあった。しかしそれをやらなかった。多分そこまでの気持ちだったんだと思う。
将来に不安を感じて舞台で食っていくことを考えるのと舞台に立つことをやめてしまった。ちょうどその頃交際しはじめた人がいたし東日本大震災がありよけいにそういう思考になっていたのだと思う。
その交際はじめたってのは夫なんだけども。
よくある典型的な「夢を諦めた」姿勢に見えるかもしれない、後ろめたさを感じたこともあったが今は「必要な選択をしただけ」だと思っている。
夢へむかって頑張っている友人がたくさんいる。
若い友人へ私があれやこれや言ってもただのうるさい小言にしか聞こえないかもしれないのでこっそりひっそり邪魔しないようにエールを送りたい。
遠回りしても行きたいところがあるならば諦める必要もないしもしかしたら遠回りしているうちに自分にとっての最適な道が拓けてくるかもしれないので好きなものへ正直に生きてほしい。
時に否定された気持ちになるかもしれない、死にたくなるかもしれない、涙が止まらないかもしれない、もう無理だって叫びたくなるかもしれない
どんな道を歩いたとしても、私は君とまた会いたいよ。
どこでどういう生き方をしても恥じないでほしい。
私はたまたま二十代の後半から子育てがスタートして、子どもを育てる上で感じた怒りや理不尽を解決する仕組みを作りたい!ってメラメラしてるのだけども、十代の頃には考えてもいなかった未来を今、わたしは生きている。
自分にとっての最適なことはまだ起きていないのかもしれないし起こらないかもしれない。
ただ、独りで泣く母親をなくしたいと思っている。
ちょっと話がずれた。私の決意は今はどうでもいい。
暮らしの中で新しい考え方が生まれてじゃあそれをもっと発展させるにはどうしたらよいか?とかその時によって疑問も変わっていくので、今考えている道とは違う道を通っても自分なりの道を見つけられるといいよね。
応援している、だなんてえらそうに言える立場じゃないんだけど年下の友人たちが悩んだり壁にぶち当たったらさりげなくお助けアイテムを落っことして去るようなウッカリさんになりたいよ。(ウッカリってのがポイント)
だから
泣いてもいいんだ、今は。
アレ?タイトルと逆のこと言ってんじゃん。
こういう大人には気をつけてくれや。
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