14年間で抜けたもの、残ったもの

先日久しぶりに大好きなフォトグラファー 戸田 麻子さん(http://oiwaiphoto.com/)にお願いして写真を撮ってもらったのです。

「リアル「今」の私をお願いします。」

ということで。

彼女に写真を撮ってもらうタイミングは、いつでも

「これから先、自分がこんな感じで進んでいけたら楽しいだろうな〜」という未来の景色みたいなのが何となくイメージとして見えた時に、

「このスタート地点の「今」を残しておきたい。」っていう気分になって、自分への決意表明的な意味合いで撮影してもらうことが多く、私はそのたびにお願いしているのです。

そして、今回は撮影をお願いした次の日に、すっかり使わなくなってしまい込んでいた外付けのHDを発見して、PCで開いてみたら、むか〜し昔(本田蒼風として活動し始めた頃)の写真が出てきて、興味本位で並べてみました。

photographer:  Asako Toda (oiwai photo)


おおお〜、これが14年の経過と軌跡か(笑)

人間、やっぱり年々、重ねるし、色々しょいこむようになっていくけど、その分どっかで同じくらい余分なチカラも抜けていってバランス取ってるもんなのかな〜・・・

と、並べた自分の写真を見てそう思ったのでした。


人間、年は取るもんです!

尖りと攻めの表情は、他人に対していい意味で興味がなくなるのと同じ速度でなくなるもんです!笑

撮影前に色々と雑談していて「シニアがもつ何かわからんけどいいわ〜っていう雰囲気は、やっぱり年月の積み重ねがにじみ出てるってことですかね?」みたいな話をしていて、「わかる、わかる。キラキラとか全然してないんだけど、そのまんま、ポンってそこにいるときの存在感っていうか、愛らしさっていうか・・・ね。そうだ、そうだよ、きっと!」となぜだか二人で興奮して話していました。

このことに近いことを、
大好きなみうらじゅん先生は「フェノロサ的視点」という名言で語ってくださっています。

仏像も、宗教的観点でみれば金ピカ新しい状態が最上だとされるかもしれないが、美術的観点で考えれば、色の剥げも一つの「味」であり、むしろそれこそが価値となりうる・・・と。


パーフェクトビューティーの「パーフェクト」とは一体誰にとっての、どの時点でのことを言っておるんじゃ?と。

うむ、いいのです。

本人がその時点で「いいのだ!」と思えれば、「いいのだ!」

「人生は自己満であり、それこそが幸福の近道である」・・・と誰かが言ったそうな。

日々、自分の「今」を残したいタイミングに、自分でoiwaiしてみるのって楽しいです。ぜひおすすめいたします。

http://oiwaiphoto.com/

注)2008年の写真は別のフォトグラファーさんに撮っていただいたものです。

#今を残す
#写真

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