福到萬家

対談したい熱、上昇中↑

本日友人と近所のカフェに入ってお茶をしていた。

話題は私が昨日行ったシンガポールで観てきた現代アートの作品たち。
彼女がすすめてくれた美術館も行って(気に入ったので2度目)、私はその作品たちを観てどう思ったか?を話していた。

私はかなり熱く語っていたと思う。
なぜなら話していて楽しかったから。

アートへの関わり方は様々あっていいと思うし、「正しい観(み)方」は一つではないと思うのだけど、少しだけ歴史的文脈や様々な角度からの考察ができるとより一層楽しめる。
「私の目の前にあるこれはいったい何故この表現になっているんだろう?」

既存の概念に一石投じるような偉人たちの創作の積み重ねにより、私の今目の前にある表現は導き出されている。

何があったんだ、ここに至るまでに?
何が起こるんだ、この先に。

謎解きのようなワクワク感、そしてこれからを予測する楽しみもあるって楽しい!と鼻息荒く話していたら、
突然目の前の友人がボロボロ泣き出した。

ヤバい…私、何かやらかしただろうか??

彼女はハンカチで涙をぬぐいながらこう言った。
「なんで泣いてるかわからないでしょ?私猛烈に感動したの、今の話に。今まで作品をそんな見方をしたこと無かったから、凄く感動しているの。」

そして何故か私も彼女を見てつられ泣きをしてしまった。

朝、近所のカフェでRM5(130円程度)のカフェモカをすすりながら、鼻息荒く話しているかと思ったら、次の瞬間に二人して泣いている…

その光景は…もはや隣に座っていた人たちからみたら恐怖の光景だったかもしれない(笑)

私はつられ泣きをしながら、「人の話に感動して泣いてしまう彼女の感性」を羨ましく思った。

私は心が震えるような感動はもちろんするけれど、感動と同時に「なぜ私は今これに感動しているんだろう??」という疑問と分析欲求が即座に湧いてしまってじんわり感動に浸ることが出来づらい。
頭であれやこれや考える前に、じっくり感動を味わえたらいいな~。

彼女は今まで自分に無かった視点を得て、驚きと喜びを心一杯感じたのだろうし、私は彼女のその反応が涙という身体表現になって現れたことに感動した。

会話って凄いね…と改めて思った。

涙がひいて、二人でまた鼻息荒く会話を再開しながら

「私のやってみたいことの一つは、色々な分野の専門家(肩書としての専門家じゃなくてオタクと呼ばれるほど何かの分野を愛している人でもいい)と何か一つのテーマについてそれぞれの視点で迫ってみる…対談みたいなのをしたいと思ってるんだ」と私が言ったら

「えっ、実は私もそういうのいいな~って思ってたんだ。こんな形式でさ…(彼女の頭にはもうイメージが結構しっかりできていた)」

ということで本日のカフェトークは着地をしました。

誰か、私と対談しませんか?


(TOPの作品「福到萬家」)




サポートをしてくださろうとご検討中の貴方はもはや「神」。