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モジユメ講師【実川れお】

物語を書く楽しさを感じる講座、モジユメ。
トークショーでは講師から「物語を書くきっかけ」や「創作経験談」を聴くことができます。

講師をつとめるのは、実川れお。

「講師って、どんな人なんだろう?」

そう思う方もいるのではないでしょうか。

ここでは、モジユメ講師について迫ります。



●「実川れお」とは何者?


講師:実川れお


1988年(昭和63年)生まれの小説家・文章講座講師。
いわき市四倉町出身で、福島県立湯本高等学校(現:いわき湯本高等学校)、國學院大學文学部日本文学科(伝承文学専攻)を卒業。2004年、高校の文芸部に入部したことをきっかけに小説を書き始め、2005年に執筆した「曇り窓」で第3回福島県高等学校文芸コンクール散文部門最優秀賞、「ハンサム!」で第10回長塚節文学賞短編小説部門優秀賞を受賞。また、2007年に執筆した「ただいま」で第30回吉野せい賞、「ほくほく」で第18回浦安文学賞を受賞。2009年より文字に描く夢講座講師を担当。2010年、一般企業に就職。東京都在住。

●なぜ「モジユメ講師」に?

19歳(2007年)の時、第30回吉野せい賞を受賞したことがきっかけです。
その2年後、21歳の春に当時の講座主催者の方から依頼を受けました。
当初この講座は、創作や添削がメインの講座で、別の先生が講師を担当なさっていました。だから、僕はその講座にゲスト出演する「受講生と年齢が近い吉野せい賞受賞者」という立場でした(依頼の内容も「講座の中に講演会の時間を設けるので、そこでいわきの学生たちに文章創作の面白さを伝えてほしい」といったものでした)。
講座当日には講演の他、受講生たちとディスカッションする時間も設けていただいたのですが、この時の講演やディスカッションが好評だったようで、翌年以降新設されたディスカッション中心のコースの講師として呼んでいただけるようになりました。
※モジユメ2010~2012は2コース制(ディスカッション中心のAコースと創作中心のBコース)でした。

●「モジユメ講師」として何をしているの?

1年の2/3はモジユメに関わる活動に取り組んでいます。
講座当日は司会進行役を兼ねた講師として、主にトークを通して受講生の皆さんと交流し、創作のアドバイスを行ったり他愛もない話で盛り上がったりしています。
講座以外の日には、スタッフや主催者の方と一緒に、直近のモジユメの反省や新しいモジユメの企画・準備を行いつつ、受講生の皆さんから寄せられた原稿や宿題を拝読し、感想を書いたり添削をしたりしています。モジユメアフターレポートや吉野せい賞応募サポート冊子の編集作業、吉野せい賞表彰式への参加なども行っています。

●どんな学生だったの?

そりゃあもう変わり者でした。「目立ちたがり屋の陰キャ」という矛盾したキャラクターだったと思います。人前に出るのは好きだけれど、協調性がなくクラスメイトとつるんだり仲良くしたりするのが苦手。勉強は好きだったけれど、スポーツが苦手で体育は見学ばかり。学校ではたいていの時間を教室ではなく校内の図書館で過ごしていました。図書館で過ごしている、と言っても本を読んだり文章を書いたりしていたのではなく、図書委員として学校司書の方のお手伝いをしていました。本の貸し出しや書架への返却の仕事もしていましたが、図書館報の編集や本の汚れ防止のフィルム掛け等の修繕作業、館内レイアウト改善の提案やおすすめの本のPOP作成など、よりディープな仕事も任せてもらっていました。また、図書館からの連絡事項を全校集会などの場で全校生の前で説明する、とか、学校に講演に来てくださった著名人の方に独占インタビューをして図書館報に載せるなんてことも自ら企画して行っていました。

一方で、文芸部にも所属していて、短歌や小説といった創作をしながら編集長として文芸誌づくりに没頭していました。入部当初はあまり活動が盛んではない文芸部だったので、部員たちが気軽に創作に取り組めるようにするため、恋愛テーマの特集を組んだり、文化誌やファッション誌を参考にした企画やデザインを行ったりするなど、書く側も読む側も楽しめる新しいスタイルの文芸誌をどんどん作りたいと思って日々を過ごしていました。すっかり文芸誌の編集者気取りで、自前のノートパソコンを背負って通学していました。社会部にも所属していて、部長として顧問や部員たちと常磐炭鉱の歴史を辿るツアーを企画しいわき市内をあちこち散策して、調査結果は市内外の大人の方たちが運営している研究会の場で発表していました。

 図書館の仕事や部活に追われていたので、お金が得られる一般的なアルバイトはしていませんでしたが、小説を書くために興味を持った人や場所に自ら取材に出かけていたほか、旅行や恋愛など、やりたいことがたくさんあって忙しく駆け回っていた日々でした。

●大人になった今、10代の若者に伝えたいこと


「まだ十代なのに」と言われることを意識しながら、好きなことに思い切りチャレンジしてください。

「もう」十代なのに、ではないです。「まだ」十代なのに、です。

二十代になりたての頃、「十代ブランド」という言葉を使っている友達がいました。
「ブランド」とは、「ブランド物」「高級ブランド」といった言葉と同じく、高級品のこと。つまりは、「十代」という世代・期間も、貴重で価値が高い、そして周りからうらやましがられるということを、その友達は「十代ブランド」という言葉を使って示したがっているようでした。

「十代」は若く幼く、そして短い。髪も肌も綺麗で、体力もみなぎっている。世の中をよく知らないきらいがあるけれど、怖いもの知らずで、感性はするどく、そしてなんだかんだ大人に守られている。だから貴重。だから価値が高い。と、その友達は言っていました。
そのときはまだ、ハタチそこそこだったのでさほど実感がなかったのですが、その言葉がいかに「言い得て妙」だったかに気づかされたのは三十歳近くなった頃のこと。仕事でもプライベートでも「大人だから」という言葉をたびたび受けるようになってからです。

三十代になってから、自分ではちょっと頑張った、あるいは飛び出してみたと思うような場合でも「大人だから、これはできてあたりまえだよ」「大人だからできちゃうよね」と言われることが多くなったと感じるようになりました。それはおそらく、大人は年齢を重ね経験を積んでいるから、いろんなことができて、いろんなことを知っていて当然。だからその程度じゃあね……と、周囲に思われてしまうことが多くなったからなのだと思います(自分も周囲の大人に対して、そう思ってしまうことがあります)。
なんだかちょっぴり寂しいけれど、それが大人になったということなのかもしれません。

十代の頃に比べて、なかなか目立たなくなった。ちょっとやそっと飛び出したくらいでは、十分と言えるほどには珍しがられなくなったなあ、と感じた時、ああだから「十代ブランド」だったのか、とかつて友達に言われたその言葉がようやく腑に落ちたものです。
感受性が強く、体力もある十代の頃だったら、三十代の今取り組んでいることも、もっと頑張れたかもしれない。そして、一目置かれていたかもしれない。そう思うことが、たまにあります。たぶん、これから先、四十代や五十代になったらもっと思うようになるのだと思います。

「まだ十代なのに」

そう。まだ十代なのにこんなこともできちゃうの? まだ十代なのにすごい!
そう言われているうちが花なのです。だから、やりたいと思ったことはどんどんやっておきましょう。
たとえ自分ではたいしたこととは思えない事柄であっても、十代なら、十代というだけで無条件に許されたり、認めたられたりすることはざらにあります。これはちょっと無理かもしれない、と思ってもいいんです。むしろ、そう思ったことを達成したときの方が、まだ十代なのに! と周りが驚きつつ歓迎してくれるはずです。
もちろん、公序良俗に反さない範囲で、ですが、「大人だから」という言葉が襲ってくる前にとっとと挑戦しておくことをオススメします。

立ち止まっている時間はありません。できれば巻きで!
十代のあなたのままで、あなたらしく欲張りにチャレンジしてみてください。

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