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お局さん

「アンタ、今日締め切りのやつもうやったん?」

上司はいつもぼくのことを「アンタ」と呼んでいた。

「いや、まだっす。いまからやります。すみません」

上司はベテランの女性で、ぼくが所属する部署を取り仕切る、いわゆる「お局さん」と言われるような人だった。

「なにやってるん? はよ、やりや! なんでアンタはいつもそうなん? 段取りができてないねん!仕事はな……」

そう言って、ガミガミ、ネチネチ、クドクドと口うるさく怒るような人だった。

お局さんはぼくの直属の上司で、教育係だった。報告、連絡、相談、いわゆるホウレンソウをお局さんに逐一する必要があった。

ぼくのホウレンソウは腐っていたのか、いつもいつも怒られた。「アンタ」という怒鳴り声がよく職場に響いていたと思う。


「佐藤くん、お局さんに目つけられたなー」

年が近い先輩に喫煙室に連れ込まれては、そう茶化された。

「いや、ほんましんどいっすわー、めっちゃ怖くないすか?」

ぼくは正直、お局さんのことが苦手だった。

「いやいや、大丈夫。佐藤くん、めっちゃ愛されてるでー」

先輩はタバコをふかして、ちょっと笑った。

「ほんまっすか? めっちゃ怒られてばっかっすけど」

ため息をついて、先輩に聞き返す。

「ツンデレなんよ、愛のある怒りやで」

本当にそうかなと半信半疑で、仕事に戻った。戻るなりすぐに、「アンタ」とお局さんに説教されるのだった。


先輩が言っていたように確かにお局さんから愛を感じる瞬間もあった。お局さんは口うるさい人だったが、本当に困ったときはよく助けてくれた。

ぼくが担当する仕事で、締め切りギリギリに終わっていない仕事があると、お局さんは声をかけてくれた。

「アンタはほんましゃーないなー」

ガミガミ、ネチネチ、クドクドと文句は言いつつも、ぼくの仕事を手伝ってくれた。

仕事で大きな失敗をしたときでも、怒りながら話しかけてくれた。

「アンタはほんまにしゃーないなー」

ガミガミ、ネチネチ、クドクドとぼくの悪いところを指摘してくるものの、確かにそうかもと思える助言ばかりだった。


仕事が終わったあとの飲み会では、お局さんの隣になるべく座って、ビールを注ぐようにしていた。

「アンタ注ぎ方下手くそやなー」

お酒の席でもよく怒られた。

「アンタはほんましゃーないなー」

そう言って、注ぎ方を教えてくれた。

酔いがだいぶ回ってくると、お局さんは上機嫌だった。

「アンタほんまアタシのこと好きやなー」

ぼくは苦笑いして、ビールを注いだ。

「アタシのどこが好きなん?」

正直困ったが、間があくと怒られそうだと思った。

「優しいところっす」

即答すると、お局さんはゲラゲラと笑った。

「アンタ、ほんまほめるん下手くそやなー」

結局、また怒られはしたのだが、なんだかそのやりとりが楽しく思えて、ぼくも笑っていた。


会社を辞めてから、お局さんとはまったく会わなくなった。辞める報告をしたときにも、ぼくは将来のことが全く決まっておらず、「アンタはほんましゃーないなー」と言われたように思う。

いま、お局さんに会ったら、なんて言われるのだろう。

相変わらず「アンタ」と言われる気がしてならない。ガミガミ、ネチネチ、クドクドと説教垂れるお局さんが目に浮かぶ。想像すると少しだけ笑いがこみ上げてきた。

あぁ、そっか、ぼくはお局さんのことが本当に好きだったんだ。


会社を辞めて、いまはフリーランスのライターとして働いているけれど、怒られる機会がめっきり減った。「アンタ」なんて怒鳴ってくる人なんていない。「しゃーないなー」と言って手伝ってくれる人もいない。お酒を飲みながら「ここがダメ」と指摘してくる人もいない。それはそれで快適ではあるのだけれど、少し寂しく感じているのかもしれない。

お局さんはいまどこでどんなことをしているのだろう。

「会いたい?」と聞かれたら、「いや、そんなに」と苦笑いして答えるけれど、「アンタ」と怒鳴るあの声はなんだか懐かしい。

あれから数年経ったいまだって、ぼくは立派なビジネスマンになんてなれてやしない。少し成長した部分もあるかもしれないけれど、きっとまた怒られるだろう。

「アンタ」

そう言ってまた怒って欲しい。ガミガミ、ネチネチ、クドクドとぼくのダメなところを指摘してほしい。笑いながら一緒にお酒を飲んでほしい。

離れてはいるけれど、「アンタ」と言いながら、いまでも応援してくれてはいるだろう。

見捨てずに、愛を持って怒ってくれてありがとう、お局さん。

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