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頭の中で自分に話す

いろんなものに囚われ枷をつけられた気になっていることがある。
このどアホが。自分に首輪と枷をつけるのは自分しかいないよ。社会や時代やヒトのせいにしてんじゃねぇ。だっさ。

他人を見ていいなぁ、羨ましいなぁって言うのはいいけど、言い過ぎんのやめとけ、アタシ。それで本当に卑屈になっちゃうのはアホだ。自分の手提げ鞄に入ってないものは、欲しがったって仕方ない。

立ち止まって、自分の手提げ鞄を開けてみな。
自分しか持ってないものだらけだ。まぁ、生きてく中でふるい落とされなかったもの、とも言うんだけど、あるいはガラクタじゃん、って見えてるのかもだけど、

私の鞄に入ってるからこそ、ガラクタが特別なガラクタになる。気付け。

カッコ良さってこんなこと、こんな生き方、こんな風にならなきゃ、みたいな自分の前提を疑え。
だってそれ、私が望んだもの?

手持ちの駒で人生を組み立てるって、言うほど簡単じゃない。
だから時間かけて考えて良いよ。

私が許すから、気にせず行け。

好きなもの、なんてなんとなく握りしめてるものかもしれない。
それから引き剥がされるようなときに、初めて気付くものかもしれない。

正しくなくても非難されても手放せない、って思ったもの、これまでも確かにあったし、それは今も私の基盤で在る。
だから好きなものは、もう好きで手許においてるのかもしれない。気付くことができてないだけで。

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極めて個人的な意見満載。毒を吐くほうではないですが、時々は正直になります。 気付いたらアメリカの田舎暮らしが長くなったので、その実際のところの話なども。

たなかともこの「自分の意見が強過ぎるなぁ」とか、「誰でも読める所に置くのは違うなぁ」というもの、外に出すほどでもないごく個人的なことが入っ…

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