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頑張れの言葉しか届けられないけれど、君なら大丈夫って信じている。

先日書いた、大けがをした友人デュイは本当に数奇な人生を送っている人なのだ。もちろん彼に「数奇な人生」という受け止め方はないと思う。ただなんやかんやいって温々と暮らしてきた私に取っては映画の中の話か、と思うようなことばかり。でも彼の本当のすごいところは下を向かず笑顔を絶やさないところだ、と思っている。 

以前私がやっていた不動産投資業というのはお金に絡む専門家とかなり接点を持つのだが、私の仕事に絡む法律的な部分を請け負ってくれていた弁護士さんから 彼の友達で腕の立つローンオフィサー(会社としてローンを組むときいろんなローン会社を調べて一番条件のいいところを探してくれる)ということで紹介されたのがデュイだった。二人とも私より一回り以上年下だけれど賢くて面白い人たちだったので、仕事以外でも時々時間をつくって一緒にランチをしたりしていた。

「そもそもなんでローンオフィサーに?」とデュイに聞くと「何をするにもお金が必要でしょ」と笑っていた。いや、確かにそうだけれど分かっていてもそれができる人はそう多くない。「すごいね、多角的にちゃんと人生を考えて来たんだね」と言うと「神様が見守ってくれてるから」といつも笑っているひとなのだ。
デュイはとても敬虔なプロテスタント信徒で何ごとも神様が取り計らってくれること、と信じているところがある。ローンオフィサーというのはローン会社に顧客をつないで取引が成立したローン会社からお金をもらう仕事だが「みんなが必要なところで繋がり、みんなに利益がある(いわゆるwin-win)」という形が、彼の信念のどこかとつながっていたのだろう。

ローンオフィサーはちゃんと働けばかなりの収入になるらしいが、私が知り合った頃から基本的に彼は必要最低限以外は自分で起こした慈善団体につぎ込み、アフリカの子供達にごはんや家や、学校をプレゼントする、ということをライフワークにしていた。30歳前後の彼がそれを始め形にしていることは当時の私にとってかなり驚きだった。世界の恵まれない子供のためになにかしたい、と思う人は多くても、ここまで一人で進めてきたDの情熱と賢さと実行力は、ただただ尊敬するばかり。

そんなデュイがベトナム戦争時の「ボートピープル」だったと知ったのは、彼のお母さんのお葬式でだった。そこで初めて、デュイの産みのお母さんはアメリカに渡ってから亡くなるまでの間、息子の事を思い出せないような状態で英語もほとんど覚えることなく施設で過ごしていたことを知った。ベトナム戦争時お母さんはまだ小さかったデュイを抱いてボートに乗ったということだが、当時のベトナムで起きた事や恐らくその直後に戦死したであろう夫のこと、逃げ出す道中のことですっかり心が壊れてしまったらしい。

「詳しいことを僕は全く覚えてないんだ、2歳とかそのくらいだったから。アメリカに来てすぐ僕は施設に預けられたし、もうその時から母がどこに居るかは全く分からないくらい何もかもが混乱していた時期だったようだよ。小学生くらいのときに今の両親が僕を引き取ってくれて愛を注いで育ててくれた。僕はとても幸運だったと思うし神様にそのことだけで一生感謝していけるんだよ。」

お葬式のあと、参列した私のところにわざわざお礼を言いに来てくれた彼が初めてお母さんの話をしてくれた。

「母とはもう会えないと思っていた。でも大学生のとき ボートピープルだというひとと知り合って、そこから繋がっていった逃げてきた人たちの中に母を知る人がいた。でもすでに母は僕の事を覚えていられるほど心が丈夫ではなくて、だからこのエリアの施設に移ってもらって定期的に会いに行っていたけれど・・・息子だって、思い出したことはあったのかなぁ。施設のひとに息子だって言われてそう、って頷いていたけど。」

「いろんな人の話をまとめてやっと昔のことがちょっとだけ分かったんだ。父は軍の将校だったらしい。でも本当に酷い状況で、その街で銃撃戦が始まるからととにかく母と僕を逃がすために周りの人に託したって聞いた。」

「ボートにつめこまれた人々の酷い話は沢山聞く。でも幸いというか、僕は病気はしなかった子供だったから海に投げ込まれたりしなかったみたいだ。」

とても短い会話だったけれど、長い時間をかけて母を見つけ世話をしてくれる施設を探してかなり若い頃から自分でそのお金を工面してきたらしいデュイの話は、ああだからこの人はお金を動かせる仕事を選んだのか、と理解するのに十分だった。

とても行動的なデュイはローンオフィサーの仕事の他、慈善団体の運営はもちろん私立高校でバレーボールチームをコーチしたり、雑誌モデル(!!)やスタントマンとして働いたりしていたようだ。そういえばトヨタの四駆のCMにでていたっけ。私は基本的にローンオフィサーとしての彼との接点だけだったけれど、いつもアクティブで笑顔を絶やさず生かされている感謝のなかに生きている彼と話すのは楽しかった。そうそう、今思いだしたけれど退役軍人でもある(なぜ軍隊に志願したのかは聞いたことはない)。

デュイから突然電話がかかってきたとき、私は私用でオンラインミーティングに出ていた。テキストで「今出られないけど、あとで折り返すね」と送ったらびっくりする写真がぽんぽんぽん、と届いた。というか、テキストしようとして、多分電話自体はまちがってかけたのかもしれないけれど。

「ど、どうしたの!?事故?」

明らかにICUレベルの治療を受けているその写真に驚いてすぐテキストで送ると、

「旦那さんって、神経内科医じゃなかったっけ?」

との返信。ごめん、うちのは集中治療室の医者なんだよ。でもそれ以上に「今の状態、神経内科医、が必要なの???」

一言に神経内科といっても専門領域はさらに細分化されている。事故が発端だと神経内科領域から出てしまうかもしれない。結局、他州に引っ越してはいるが昔からの我が家の知り合いが神経内科医なので(まだソルトレイクシティの同僚と接点はあるとのことで)そちらに相談してもらうことになった。

簡単に聞いたところでは、どうやら車数台が巻き込まれた大きな事故でチェーンが首にかかって危うく「首チョンパ」(若い人にこの表現は分からないかな・・・)になるところだったらしい。幸い縫合できたようだけれど、酷い脳挫傷もあって神経内科医に評価してもらわなければいけなかったよう。でも医療費の高いアメリカだから、ICUケアはもう要らない、となったら「自宅に」退院したのだとか・・・自宅に?!(手術やICUケアで、すでに支払いが500万円超えているらしい。もちろん保険は入っていて、の話。知ってたけどアメリカ怖い。)

下手すると世界中の不幸を背負ってます、みたいになってもおかしくない人生を送っているデュイに、なんで更にこんな苦悩が、と思う。でも彼のテキストの文面からは彼の笑顔が見えるみたいだ。信仰の力もあるのだろうが、すごいことだ。

「ゆっくりだけど、少しずつ回復してるよ。でも I can use your little prayer 祈ってくれたら嬉しいな」
「さっき気管とかを縫い合わせてくれた先生に 声をだしてもいいって言ってもらったんだ、ありがたい!」
「花をありがとう!キレイで、とっても癒されてる」

身体が治っても、彼にはしばらく大きな借金が残るんだろう。ほんの少しの寄付はできてもそれじゃ雀の涙だということは分かってる。
でも同時に、彼の生きる力、乗り越える力を友人として信じている。
頑張れデュイ、君ならきっと大丈夫だから。

もし少しでも寄付してくださる方がいたらありがたいです。(慈善団体向けになっていますが、しばらくはデュイの回復のための寄付になるようです。)

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極めて個人的な意見満載。毒を吐くほうではないですが、時々は正直になります。 気付いたらアメリカの田舎暮らしが長くなったので、その実際のところの話なども。

たなかともこの「自分の意見が強過ぎるなぁ」とか、「誰でも読める所に置くのは違うなぁ」というもの、外に出すほどでもないごく個人的なことが入っ…

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