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知らない音

「お花が咲く時ってさ・・・本当に微かな音がするんだよ。」

ベランダに出した植木鉢に水をやりながら君は言った。
僕に聞かせているんだろうか。
でも君の背中は硬くて、返事をするのを躊躇った。独り言だろう、そう思ったと流すのが正しいのかどうかもわからない。


そういえば 葉っぱが痛がるから、と、君は「蓮の実」の穴が小さなじょうろをいつも探してた。
これでいいんじゃん、って僕が指さした、おしゃれだけど蓮の実がついていない、口先の長いじょうろはお気に召さなかった。あの雨のように水を降らすものが蓮の実というんだ、とあの時君に教わった。そんなものに名前があるなんて知らなかった。

「できるだけ自然にちかいほうが良いんだよ。ただ水分があればいい、って、それじゃ点滴で生きてるヒトみたいじゃん」

お気に入りが見つかってもなお、君は時々霧吹きを使う。痛くない雨は本当は霧雨だけだと思うの、そういう君の指先にくっと力が入り、空に向けられた霧吹きの先から虹がこぼれる。


近所の花屋でみつけたというそのじょうろの先には 本当に細かな穴しかあいていない。すこし弱い雨みたいにさらさらと落ちる水を、君は根気よく沢山の鉢にかけている。沢山の葉っぱの一枚一枚に 水滴で語りかけるように。

こんな、時間がかかるだけのじょうろ、面倒だよと一度水やりを交代した僕の文句に君は笑った。時間と一緒に愛も降り積もるからいいのよ。


君はそんな風に僕に触れた。手を重ねても少し手を引いて指先だけ、僕の手の甲に載せ直す。じれったくなって僕が唇を重ねようとしても少し引いて、むっとした僕をなだめるかのように唇で唇をゆっくりなぞる。ついばんでみたり、瞼にキスしたり。抑えきれず首筋の甘やかな匂いに吸い寄せられると、君の唇が抑えた息と一緒に 僕の耳の縁を、そしてカタツムリのぐるぐるみたいな耳の形を通り過ぎ戻る。いつも待ったをかけられながら 溶けてしまいたい、染み込んでしまいたい、外からも内からも溶かしてしまいたいと気が狂いそうになる。
時間と一緒に降り積もるのよ、という記憶の中の君のことばが 半分思考や感覚なんて吹き飛びそうな僕の耳の中に ゆるゆると渦を巻く。


言葉でも音でもない君の語り口調を 沢山の植木鉢の植物は聞いている。僕がそれらをいつも、もっと聞けたら 何か変わっていたんだろうか。



「俺のせいかよ」

ケンカにならない生ぬるい険悪さの中で、僕の言葉は君の目を少し大きく開かせた。そしてゆっくり君はマグカップを机の上に置き、風呂場の方に立っていった。

君がいつも僕の事をそのまま受け入れてくれてるのを知ってた。包み込むように見ていてくれたから安心していた。指紋の溝が、唇のシワまでもが分かるような触れ方で愛を注いでくれているのも知っていた。だけどそれが冷静さに見える。僕ばかりが君に夢中に見えて悔しかった。

二重に閉じられた扉の向こうに遠くシャワーの音がする。流れる水音の合間に涙を見せない君の抑えたしゃくり上げる音が微かに混じる。動けずに僕は机の上に置かれた飲みかけのマグカップをぼんやり見つめる。
やがてシャワーの音も止み、扉の向こうで微かな衣擦れが聞こえてきた。

君はいつも以上に平静な顔で出てくるだろう。あるいは目の赤さが引くまですこし時間を置くだろうか。
君がそこから出てきた時 僕はここにいるべきだろうか。いないほうがいいのだろうか。



        ぽ   ん


気配が泳ぐ。

ベランダに目をやると網戸の向こうに今年最初のキキョウが咲いていた。




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#触れる言葉 #金曜トワイライト #時差考えても全然間に合ってないじゃん #でも池松さん気にしないと思う

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