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私じゃない「目」で見る世界はどんなだろう #わたしの読むスタンス

あきらとさんがこんなコトを書いていました。(深夜らしく、短いww)

なるほどね。

「書き手さんの視点や、心の動きをなぞりたいんです。」

あきらとさんはそうやって、言葉の後ろでその言葉を紡いだ「にんげん」をみているよね。確かに。


で、 #わたしの読むスタンス  はどうでしょうという、あきらとさんからの提案。

私はですねぇ。読むときみているのは 言葉にしたら多分あきらとさんと一緒、そのひとが何をどう見て、その周りで心がどう揺れているか を知りたいと思っています。
創作であっても書いてある中にその人の視点が絶対あるから。

ただ 大分前にも書いたけれど、どうもその辺りが見えてこない文章が最初の十数行に続くと その人を知ろうというのを諦めてしまうんだけどね。上手くそのひとの視点に自分が合わせられない、ってことかなぁ。


それからね、なんというのかな、「自分を見ないで」って布を前に拡げながら 演題に立つ人、ってかんじを受けるとき。 あるいは「これを見て!」っていう大きな看板を掲げて(まぁ、情報としては良い事も多いのですけど)、看板のためにその人が見えないってかんじのとき。見ちゃいけないのかしら?と思ってしまいません?

そのひとにそんなつもりはないのかもしれないけど。。。単に恥ずかしい、とか?

まぁそれはいいや。
やっぱり読む言葉のなかにその人と同じ視点になれるものを見つけて、どんな風に世界を見ている人なのかなぁを知りたいなぁ、っていうのはありますね。
どこでどんな風景をみてどんな人と毎日会ったり会わなかったりして、それを「どんな視点」でみてるのか。あきらとさんの言うように、それは「私」では見えないものだから。


んんーーーー殆ど同じじゃん(笑)
すみません、ご期待に添えず。あきらとさん。

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