【読書エッセイ】悔しさを感じる心
昔、母にため息をつかれたことがある。
あんたはもう、ハングリーさとか反骨精神とか何がなんでも、が全くない。
言葉はそのままじゃないだろうけれど、まぁそんなことだ。かといって怒られた訳ではなく、この子はそういう子なのね・・・と半ば諦めたような言葉だった。
オットに勧められて一気読みしたこちらの本。きっと大阪あたりでは超のつく有名人なんでしょうね、ネルソン先生。
いやぁすごい。とにかくすごい。こんな直向きに全力投球で突き進む人がいるんだなぁ。
嘘みたいなサクセスストーリーを、ギリギリのところで踏ん張って手に入れてきた人が。
マレーシアの「貧困家庭」で育った、とご本人はおっしゃっているが、確かにネルソン先生の子供時代を自分たちの世界にそのまま映して考えることはなかなかできない。それでもネルソン先生は自分を不幸だと思うどころか、むしろある一定の他の子たちよりいい環境であった、と受け止めている。拗ねたりぐれたりという考えは浮かびもしない感じだ。
私が大学に入った頃にネルソン先生は単身マレーシアを出てなんと北大薬学部に通い始めている。その後も超一流の専門誌に論文を載せこんな高待遇滅多にない、という進路を決めておきながらも夢みた医学部を諦められず、進んだのが阪大医学部。その後の頑張りもすごいけれど、日本で大騒ぎになった産婦人科事件などをきっかけに「患者さんをもっと助けるために、そして医師が疲弊し仕事ができなくなるのを防ぐために」と参議院議員に立候補までしてしまうし、落選はしたけれど本当に多くの人に「心からの熱意」を受け取ってもらって後ろ盾なしに10万票以上獲得したという。そして選挙活動のために作った借金を返すために一人黙々と働いていたら成人版足長おじさんが現れて 今は大阪の人のために産婦人科・乳腺外科のクリニックを運営されている。
成功談がすごい、という見方もあるだろうが、この人の「心に従って逆境を乗り越える」姿勢と直向きさがとにかくすごい。
母は、このネルソン先生みたいな直向きな負けん気や反骨精神を私に持って欲しかったんだろうな・・・ごめん、こういう真っすぐさは私も憧れるけれど、憧れても手に入らないものっていうのもあるんだよ・・・
悔しいと思う心は、自分を信じる強さがある、とも言えるのではないか。
できるはずの自分が、理不尽な理由で「できない」結果に甘んじているとか。
みんなに認めてもらえていないけれど「私はできるはずだ」と心の奥底で信じる気持ちが 悔しさになって現れるとか。
私はこれまでの人生で、悔しいって思ったこと、あっただろうか。
一瞬くらいならあったかもしれない。
でも多分その瞬間に「すごい人っているんだよ」「私よりずっと努力できる人っているんだよ」「その頑張りを持ち続けること、私はできないんだよ(どうせ)」みたいに思って、悔しい、という気持ちは炎天下のアスファルトに落ちてじゅっと気化する汗みたいに消えてしまっていたんだと思う。
我が子たちに、同じ「じゅっ」の瞬間を何度も見てきた。悔しい、が瞬時に消えていくのだ。
私もそうだったように、我が子たちも恵まれていたのだろう。それらを手の中に握りしめることができなくても「他のことがあるんだから、いいや」と自分を無理に納得させて そのうち最初からそっちは要らなかったんだもん、みたいな気分に、いや思い込みに、自分自身が騙されていく姿を。
悔しい、を持つことができない彼らをみながら、どうしたらそれを感じてもらえるのか、と思ったこともある。・・・でももしかしたら、悔しさってある意味極限まで追い詰められた時にしか奥歯で噛み締めて忘れないぞ、と思うことはできないのかもしれない。
悔しさを諦めにすり替えてしまう。これは多くの人がそうなんじゃないだろうか。だって、諦めた、と思ったり言うことは一番簡単だ。
諦めになってしまった悔しさは、自己否定にしかならない。頑張る気力をかき集めることもできない。
じゃぁどうしたらいいんだろう・・・・そこ、諦めていいの?っていつも自問自答できるもんだろうか?
私は多分、それを再度自分に問うとか、できたことはないな・・・そして親として子供に悔しさを直視することは、教えることができなかった。
これから私が「悔しさ」を手に入れることはあるだろうか・・・そんな情熱を、人生のどこかに感じることができるだろうか。
ネルソン先生の言葉を読みながら、そのまっすぐな思いに胸を突かれるような気持ちになった。あぁ、そういう熱さ、持つことができたらな・・・・あれ、すでに私は私を諦めてるじゃないか。年齢とか立場とかいろんな安全なものを盾にして。
悔しさを感じる心・・・それはもしかしたらとても泥臭くてカッコ悪いものかもしれない。・・・カッコ悪い?
もう一度考えてみる、「自分が本当に欲しいもの」をしっかり知っているのは カッコ悪いどころか素敵だと思う。一生懸命なのをcoolじゃないと嘯く子供の頃の自分が、まだ私の中に居座っているってことか?
そんな言い訳や諦めに直結するものを捨てて、自分が望むもの・・・を考えてみたい。今そんなものはない、と思っていても、自分の中のどこかに 土に埋めることも水をやることもなくタネの袋の中に入れたまま置き去りにされているかもしれないから。
今はそんなタネがあるかどうかも、全くわからないけれど あるんじゃないか、見つけられたら私はとても嬉しいんじゃないか・・・そんな気持ちになった、エネルギーで溢れる一冊だった。
私でも、悔しい、を引き出せるような何か、あるのかな・・・・
サポート戴けるのはすっごくうれしいです。自分の「書くこと」を磨く励みにします。また、私からも他の素敵な作品へのサポートとして還元させてまいります。