百々/象る

言葉も写真も映像も、「その時」を記録できたことはないのだろう。


言葉はいつも濡れているから、大切にされる時はライトで湿っぽい。


玄関とベランダは黄泉の境界。サイゼリアの渋みを知っている。だから宴の音節は壊れなかった。


-------

くだらない感情を供養するために、曖昧な記憶を言葉で象ることが自分にとっての詩なのかもしれない。すべてに名前があるように、新しい名前を知りたくて書いてみた。自分にとっての贄なのだから上手くなくていい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?