日常にとける
近頃は、なんだかずーっとぬるま湯に浸かっているような感じで、心地良く、機嫌良く、したいことをしながら、平穏に暮らしています。
晴れた日に、ふんふーんと鼻歌など歌いながら近所を自転車で走っていたら、こんな言葉が頭に響きました。
正確に表現すると、言葉の前に「直感」があり、それに意識を向けたら言葉に置き換わった、という感じなのですが。
そうだよね、うん、そうする。
なぜかスコンと腑に落ちて、以来、ちょっとチャンネルが変わった気がしています。
何かに没頭している時って、自分がなくなって、行為そのもの、体験そのもの、空間そのもの、になっている気がするのです。
この感じは、なんだ?
頭で理解しようとしたり、言葉で表現しようとするよりも、今は、この感じを感覚で掴みたい。
だから近頃は、あえて思考と距離を置き、ただただ日常を楽しむ、ということをしながら、この感じを眺めています。
音もなく、満たされている。
現実的には、身体は動いているし、感情も思考も湧いているから、音はありそうなものなのですが、なぜか感覚としては、音はないように感じるのです。
童話「青い鳥」は、教訓を示すための作り話だと思っていたのだけれど、今は、あれって実話じゃん、と思っています。
どこへも行かなくていい。
何者にもならなくていい。
でも、
どこかへ行ってもいい。
何者かになってもいい。
なんにせよ、素直に、やりたいことをやりたいようにやればいい。
と、至極シンプルなところへ辿り着く(戻ってくる)のですが、あれこれぐるぐるごちゃごちゃしたからこその「今」なのだろうな、と思います。
余談ですが、幸せの青い鳥というのは、鳩(キジバト)なのだそうな。
言われてみれば、青いかも。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?