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ふわりと風にのっていく

神さまの言葉遊び

生きていると、さらりと奇跡のようなことが起こる時があります。

また、個人的に、近頃そういうことが増えたなあ、と感じています。

どんな時に起こったんだっけな、と思い返していたところ、ダジャレのようなひらめきがあったので、書いておこうと思います。

fun(楽しみ)= fan(ファン)

どういうことかというと、楽しいなー、という軽やかな感情は、ファンとなり、自分の中に風を起こしてくれるものらしい、ということです。

風にのって空高く舞い上がる風船やしゃぼん玉には、ついつい願いを託したくなる。

ついつい、というのがミソで、なぜだかわからないけどそうしたくなることには、真実が隠れているんじゃないかと、私はにらんでいます。

そのイメージ通り、ふわりと風にのった軽やかな想いは、軽やかな天へと届きやすい。

そんな気がします。

私のちょっとした奇跡体験①

私は、Instagramをゆるーくやっていて、趣味で描いた絵を文章とともにたまに投稿しています。

たいして上手な絵でもないのですが、ある時、ある米菓会社の公式アカウントからDMで、あなたの絵を弊社の母の日キャンペーンのお知らせで使わせていただきたいのでできましたら数点描いていただけないでしょうか、と連絡をいただいたことがありました。

その時は、まだInstagramを始めたばかりの頃で、Instagramとはどんなものなのかもよくわからないまま、下手くそな絵でもとりあえず投稿して遊んでいました。

私は、その米菓会社のお煎餅が大好きです。

好きすぎて描いたお煎餅の絵を、この想いよ会社の方に届け!と投稿したところ、なんと見ていただけたようで、すぐに公式アカウントから反応をいただきました。

嬉しくなって、フードイラストのお仕事なんてできちゃったりしたら楽しいなーと、その後も何枚かお煎餅の絵を描いて投稿していたところ、先に書いたようなDMをいただきました。

私の浅はかな夢物語があっさりと現実になり、この時は、文字通り震えました。

私のちょっとした奇跡体験②


同じような話が、もうひとつあります。

地元のパン屋さんで買ったパンの絵を描いて投稿することに、しばらくハマっていた時期がありました。

パンの絵って、色鉛筆で少しずつ描いていくと、パンが少しずつ焼けていくように描けていくので、美味しそうで楽しくて心地良くて、しばらくパンの絵ばかり描いていました。

パンの絵が何点か揃ったところで、ふと、このパンの絵をパターン(絵柄)にしたらめちゃくちゃかわいいんじゃないか、と思いつきました。

誰に頼まれるでもなく、ただ自分が見てみたいからという理由だけで、せっせと絵をスキャンしてパソコンにとりこみ、画像処理ソフトでパターンを作りました。

思った通り、あまりにかわいいのでInstagramに投稿したところ、そのパンを作っている地元のパン屋さんから、あなたのパンイラストのパターンを当店のイベントで使わせていただけないでしょうか、と連絡をいただきました。

この時も、そんなことになっちゃったら楽しいなーと思っていたら、あっさりと現実になってしまいました。

またまた震えました。

全てを風にのせていく

他にも小さな奇跡体験は色々あるのですが、そういう時の、こうなっちゃったら楽しいなー、という想いには、重さがなく、ふわりととても軽やかなことが、共通しているように思います。

どれだけ自分の真ん中にある純粋な喜び「素(す)」と繋がれるか、というところがキモ、という気がします。

そこと繋がれると、そこには境界がないので、時間も場所も飛び越えて、自分と世界とがいとも簡単に繋がってしまう。

というか、自分と世界はそもそも「ひとつ」なのだ、ということを思い出す、というような現象が起こっているだけなのだろうなあ。

と、ここまで書いてみて、「奇跡」というと、素晴らしく良いこと、と考えがちですが、素晴らしく悪いことに見える奇跡も、同じように起こっているはずだよなあ、という考えに至りました。

自分の焦点がどこに合いがちなのかを観察し、調整してみると、いわゆる「奇跡」を体感しやすくなる、それだけの話なのかもしれません。

できるだけ心地良くありたいけど、時々は心地悪くても、まあいっか。

良い奇跡であろうが悪い奇跡であろうが、奇跡であろうがなかろうが、起こることを全部楽しんでしまえば良いだけの話か、なんてことを思いました。

丸ごと全部、風にのせていけ。

あ、そういえば、今って、風の時代っていわれてるんだった。

なんか、納得です。

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