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必要なものはすでにある


ポジションを全うしろ

俳優の市原隼人さんが主演を務めるドラマ「おいしい給食 season3」が、この10月からはじまりました。

市原さん演じる給食マニアの教師甘利田が、日々どれだけ美味しく給食を食べられるかに挑むお話です。(ざっくり)

楽しみにしていた第一話、久々の市原さんの全力演技をギャハハと楽しく観ていたら、思いがけず、あるセリフがガツンと心に響きました。

甘利田:お前たち、席替えがなんのためにあるかわかるか。

生徒:そりゃ、ずっと同じ席じゃつまんないからだろ。

甘利田:その通りだ。

いつも同じ目線、同じ距離感では人間は息がつまる。人には刺激が必要だ。ただそれが過ぎると、人は自分のポジションを見失う。

例えば、給食の班だ。班が変わっただけで人格が豹変する生徒を私は何度も見てきた。もう2学期も中盤だ。1組の人間関係はこのあたりで仕上げにかかる。

自分のポジションを全うしてみろ。

そしてこの後、「自分のポジションを全うしてみました」という生徒が現れます。

自分よりも美味しそうに給食を食べる生徒の出現に、給食道をひた走る甘利田は敗北感を覚え
、その心は揺れます。

TVerで無料配信中ですので、興味のある方はぜひどうぞ。

「自分のポジションを全うしてみろ」というセリフからあれこれ思いを巡らせている時に、ふと思ったことがあります。

もしも誰かと心が入れ替わって、私以外の人が私よりも私の人生を輝かしく楽しんで生きているのを見たら、きっと激しく嫉妬してしまうだろう。

そう思った時、なんだかんだ言って、私はやっぱり自分のことが好きなんだなと思いました。

神性とは

前回の記事で、こんなことを書きました。

私はいつでも、夫の中にキラリと光る「神性」を見続けてきたし、それは、どんな人の中にもあると感じています。

お茶会しませんか / moimoi

私の考える「神性」とはどんなものなのか、言葉にしてみると、「すでに完全なカタチで存在しているもの」とするとしっくりきます。

どんな人の中にもすでに備わっているものなのだけれど、様々なものに覆われていて見えなくなってしまっているものです。

「長所と短所は表裏一体」といいますが、人の神性を観る時、私はこれを手がかりにしています。

長所と短所は表裏一体

例えば、私は昔、チェーンのファーストフード店でアルバイトをしていたことがありました。

どんな場面で言われたことなのかは覚えていないのですが、ある日マネージャーが店長に、「moimoiさんは頭がいいからすぐに省略するから気をつけてね」と、なぜか私にではなく店長に注意を促すことがありました。

褒められ…てはいないよね。

チェーンのファーストフード店では、どれだけ店舗やスタッフが変わっても同じサービスを継続して提供できるようにする必要がありますから、できるだけマニュアルを守り変化のないように業務を行うことが重要視されます。

だから、私のような性質の人間は要注意人物とみなされるのです。

ですが私は、当時も今も、そう言われても悪い気は全くしませんでした。

自分でもすでにわかっていたことではあったので、単純に「やっぱりこういう仕事はむいてないんだな」と思いました。

私には「同じことを同じようにやり続ける才能はないようだ」と思いました。

同時に「物事の効率を考え変化発展させていく才能、改革をおこす才能があるようだ」とも思いました。

決して褒められた話ではなかったのに、自分の才能を掘り当てられた気がして、私は気持ちが高ぶりました。

大袈裟に言えば、ある場所ではダメ人間とみなされる人でも、ある場所では英雄にだってなれる、そんなことも決して夢物語ではないような気がしました。

正反対の夫婦

私と夫は、正反対の性質を持っています。

夫は、早寝早起き、何事もきっちり計画性を持って物事を進めていくのが好きな長距離走タイプであり、暇を持てあまさずずっと動いていられるけれど、予定外の出来事に瞬時に柔軟に対応することは苦手です。

対して私は、早寝遅起き、何事もフィーリングで思いついたことを思いついたときにやるのが好きな短距離走タイプであり、暇さえあればじっと動かず物思いにふけっているけれど、予定外の出来事に瞬時に柔軟に対応することは得意です。

そんな正反対の私たちですが、お互いが自分の性質を理解してそれを活かし、適材適所で協力し合うことを覚えていくうちに、「1+1=無限」とも思える広がりを感じられるようになりました。

私などは、夫のおかげで人間らしい暮らし方ができているように思いますが、夫も、私のおかげで人間らしい遊びができているような気がします。

長所と短所は表裏一体ですから、「ない」の裏側には「ある」があり、「ある」の裏側には「ない」があります。

「ある」人は「ない」人を活かすことができるし、「ない」人も「ある」人を活かすことができます。

なぜなら、表裏一体だから。

人ひとりでは成し得ないことも、誰かと関わることで成し得ることがあります。

ほんのちょっと見方を変えるだけで、自分の想像を遥かに超える豊かな世界がパッと目の前に広がることだって、あり得ない話ではありません。

もしかしたら、「ない」の裏側に「ある」ものに気づいた時から、豊かさの循環は起きはじめるのかもしれません。

どんな人の中にも、必要なものはすでにある。

私は、そう思っています。

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