私が考える目指すべき社会像とは何か

こんにちは。

日頃から政治的ツイートを繰り広げている私ですが、その背景には「目指すべき社会像」があります。

それは「一人一人がポテンシャルをフルに発揮でき、同一労力同一結果論に基づいた理不尽と不公平のない世界」です。
性別、出身地、職業、経歴、嗜好、価値観、社会的地位による不公平な取り扱いや理不尽な取り扱いがなく、誰もが均等に機会を得ることができ、誰もが同一の労力で同一の結果を得られる世界です。言うならば「誰でも頑張った分頑張っただけの結果が保証される」世界とも換言できます。

ただし、これは「働かざる者食うべからず」を意味するものではありません。様々な事情によって働けない者はたくさんいます。こうした人達に自助を押し付けるのではなく、最低でも人間らしい最低限度の生活は政府等によって担保されるべきと考えます。

ある種、理論構造としては中国で行われている「生産責任制」に近いかもしれません。これは、

「農民は政府から生産を請負うがその時に、政府と農民は一定数量の農作物を国家に上納する(包产到户、包干到户)が、それ以外の余った農作物については農民が自由に処分してよいこととなり、自由市場に農作物を販売してよいことという取り決めをした」(以上、Wikipediaの「生産責任制」の項目より引用)

とするものです。

私が主張する「同一労力同一結果論に基づく、理不尽と不公平のない世界」においては、「誰もが最低限困窮せず暮らしていけるレベルの生活が保証される。それに加え、さらなる生活水準の向上や富を得たい者は誰もがその機会を手にすることができ、労力を費やした分結果となって帰ってくる」世界を意味します。

換言すると、ガラスの天井やマイノリティ差別、生活保護受給の不当な制限などがない世界です。

現在の日本では、
・女性差別(男性と比べて生き方やキャリアに至るまで選択肢が狭く機会不均等であり、機会を得ることが出来ても男性ほど地位を得ることが出来なかったり、男性よりはるかに大きい労力を必要とする。また、避妊薬や中絶手術などの取り扱いにおいて一方的負担を強いられている等)
・画一化した価値観に基づくマイノリティ排除(社会的慣習に則り、目上に従順で、組織に順応的なヘテロ男性が是とされ、それ以外の層は不利な取り扱いを受ける等)
・公平性よりも強者の主張や論理が優先される(モリカケ問題や桜を見る会問題、オリンピック中抜き問題など多数)
・硬直化した学校教育方針(個性が育ちにくく、たとえ個性豊かな子供であっても社会や学校が是とする型に嵌められてしまう)

など、ありとあらゆる面で社会的強者とされる層のみが有利になり、弱者とされる層では機会でも結果でも強者と比べて著しく不公平な処遇を受けているのが現状です。特に公平性の観点においては、「正直者が馬鹿を見る」ような状態に近いとも言えるでしょう(企業における出世レースでも見られる)。

このような状態を放置していては、人権の問題を別にしても、
・強者の既得権益化が現状よりさらに進み、硬直化
・次世代の世界に適応するためのイノベーションが遅れる
・労働力を確保できず、人手不足が加速し経済が停滞
・社会における生きづらさから少子化の加速、自殺率の増加

など、様々な問題に対応できなくなると考えます。そしてこれらは、国家や世界の命運を左右する問題ともいえます。

特に労働力においてはなおさらです。従来は、豊富な労働力を背景に男性のみをキャリア職とし、女性は結婚するまでに辞めるパート要員か事務員程度の存在でした。それゆえに女性が働きやすい環境づくりを怠り、男性でも仕事人間タイプでない層にとっては働きづらい環境でした。
しかし、個人化とともに少子化が進み、労働力不足が見込まれる時代にこんなことをしていては人手不足間違いなしです。

それゆえ、労働力確保の観点からも男性・女性がともに公平に同じ労力でキャリアを歩めるようにする環境や仕組みづくりは必要不可欠です。

就職氷河期世代では、女性は高学歴であっても見合ったポストが用意されず、ポテンシャルを活かせぬまま専業主婦にならざるを得なかったり、男性でも高学歴にもかかわらず低賃金労働者にならざるを得ず、女性も高収入を得られる職につく機会と労力において著しく不利であったために結婚が困難となり、少子化が加速したという経緯があるそうです。ポテンシャル溢れる人材の使い捨てと言っても過言ではないでしょう。例えるなら、松阪牛をまるまる一頭海に捨てるような行為が何千、何万という単位で横行していたようなレベルです。

今後、労働力が減少する推測が立てられていますが、このような「人材を使い捨てる」構造が十分改善されたとは言えません。現在でも、職歴差別や女性差別、年齢差別などが堂々と横行しているのが現状です。

本来ポテンシャルのある人材のポテンシャルをフルに活かすことが、その人のためでもあり、国力増加や経済活性化のためでもあり、全方位において良い効果をもたらすのではないでしょうか。

そのためにも、私は「一人一人がポテンシャルをフルに発揮でき、同一労力同一結果論に基づいた理不尽と不公平のない世界」を志向し続けます。

これが極力完全な形で実現してこそ、「努力は報われる」と言い切ることができ、一人一人が希望を持って幸せに、ありのままに生きられる理想の社会が実現することでしょう。

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