酒飲み男子のダイエット日誌#06

こんにちは、Yas之助です。

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ダイエット約2週間、結果は??

あともうちょっとで70kgをきる!!

といっても、一回70.0kgを記録したのですが、そこから色々食べて微増しました。
まぁ、順調であることは変わりないので良しとする。

酒も今回は3日休肝日(1日分は日誌に載せる予定)でしたのでまずまずかなと。

ジムに関しても2日行って、2日は家で例のあのYoutuberで筋トレをしました。

順調でしかない。早くも折り返しに行くかもしれないが、実際はそんなに甘くなく、きっと停滞期があるんだろう。
知っているから怖くない。来いや、停滞期。ぶっ飛ばしてやるよ。


私は周りの人にも親にも妻にも言われるのですが、

何を考えているのかがわからない。
表情が変わらない。

とよく言われます。

確かに私は表情筋がたぶん異常に弱っているのでしょう。日常で私はそこまで表情が変わることはありません。

ではそれイコール、何も考えていないのかといえば、全くの正反対で、
私は、実世界で表される表情や、言葉や行動の、おそらく、肌感覚で10億倍は頭で考えています。

自分の中では、頭の中の世界がとてつもなく大きいです。

これに関しては、他人と比較する術はなく、私のほうが大きいのだ!といえるようなものではないのですが、少なくともここでは、表に出る感情や表現よりも、頭の中で描く物事のほうが圧倒的に多いということです。

私の頭の中には二人の自分がいます。
(多重人格、という意味ではなく、物事を考える際に、二人の自分を見ながら考える、ということです)

一人は無機質な部屋の中に閉じ込められており、その中で非常に感情的に物事を考え、行動します。

例えば、何か嫌なことがあった際には、非常に苛つき、泣きわめき、物事にあたり、何なら架空の人をぶん殴ったり、殺めたりすることもあるでしょう。

もう一人の自分は、そうやって感情的に生きているやつを、上のマジックミラー越しに覗いて、冷静に、かつ論理的に考えている人がいるのです。
(感覚としては、手術室と、なんかそれを上から覗いているお偉いさん、的な)

何か経験した時、例えばそれが嬉しい経験や、悲しい、ムカつく経験をすると、まず感情的な自分が素直に反応します。

嬉しければルンルンに、にこやかに笑って踊り、あ~~~~~楽しい!!!これは良い!なんて素晴らしいんだ!と

ムカつくと、むっっっっきいいいいいいいいいいい!!なんなんだよあいつ!!!くっっそおおおおおおぶん殴りてええええええええ!!!!と

そうやって喜怒哀楽が凄まじい自分を、今度は上から見ている冷静な自分が分析をします。

お、楽しそうだなこいつ。しかも今回はただ楽しいだけでなく、こんな学びもあったな。こいつはきっち次回はこんなことをしようとするだろう。けどそこには多分こんな危険性があるからそこは気をつけよう。と

うわーこいつめっちゃ荒ぶってるわ…あー殴っちゃったよ…けどまぁ、もちろんイラつく気持わかるけどさ、冷静に考えて、相手も良かれと思ってやってくれたわけじゃん?だれも悪意はないんだし、その怒りをそのまま表に出しても誰の得にもならないなぁ。と

そして最終的に、実世界の私はどう反応するか?

私は、そのほぼ大半が、この頭の中での二人の攻防戦をやることで満足し、結局表舞台に出てこないことが多いのです。
つまり表情にも感情にも言葉にも出てこない。頭の中できれいに昇華してしまうパターンがとても多い。

それ以外は、その頭の中の二人が、壁にかかっている座右の銘を眺めるのです。

「人生楽しんだもん勝ち」

これ、感情的な自分と、冷静な自分、どっちを表に出すと、自分楽しめる?と考えると、割と単純。

楽しい、嬉しいことは感情を出したほうが楽しい

悲しい、ムカつくことは冷静な自分を出したほうが、まだ楽しい

こんな感じで最終的に表情や言葉に出てくるのです。

なんかご都合主義だなぁと思いますが、

それで何が悪い??誰に迷惑かけてる?楽しけりゃええねん!うるせえ!となるわけです。

なので結構切れたり、不機嫌なときこそ、冷静な自分を出すために、その副作用で表情が仏頂面になることが多い。

なんか考え方めんどくさいね、と思われるかもしれないですが、もうね、この頭の中の二人は、自分の意志とは関係なく動くので面倒とかもないのです。独立した生き物。

ですので、めんどくさいことがあるとすれば、ベッドに入った後、無駄に頭が冴えていると、こいつら二人が止めどなく動き始めるのです。

もうね、本当に止まらない。好き勝手する。
ですので頭は常にフル回転で、寝れるわけがない。

私、酒飲まないと寝れない節があるのですが、その理由は、酒でこの二人を酔わして黙らせる、という側面があるのです。

この二人、どちらも私は好きなのです。

オリンピックを見て、うおおおおおおおおおおおおおお!と叫ぶ感情的な自分も、

政治的ないざこざを見て、冷静に、けれどもこれってこうだから、マスメディアはこういって煽ってるけど、自分はこうだな…なんて分析している自分も、

どちらも大切な自分であって、

後は、その二人を、自分的に都合よく表に出すだけなのです。

その都合の指針が、

人生楽しんだもん勝ち

なのです。

だからこそね、この制御が効かなくなる時ってとても面白いんです。

普段はこんなふうに考えているのに、

もうどうしようもなく泣いてしまったり、

くだらんと思いながらもブチ切れてしまったり、

バドミントンの試合で勝った時に、もはや人目も憚らずに、よっっしゃああああああああああああなんて叫ぶときとか、

抑え込んでいた感情的な自分が、全てのプロセスを取っ払って表に出る瞬間って、私の思考プロセスからしたらとても貴重な経験ですし、どれをとっても、凄まじくスッキリとするのです。

私は、人間とは、根本的に感情的な生物だと思っています。まぁ当然か。
感情的に生きるのが一番ストレスが少ない。

しかし人間が作った社会はそうはできてない。

感情に任せて人を殴ってはいけないし、嬉しくて道端にいきなり踊りながら出てはいけない。

人間社会で生きていくためには、そのルールから逸脱してしまうかもしれない感情的な自分を、冷静な自分で上手くコントロールしないといけない。

これを生きづらい世の中と思うのかどうかは別問題ですが、実際そうなんだと思います。

あ、ちなみにいま凄い酔っています。

私はその世界を、頭の中の二人の自分を使うことで、今の所、自分的には、うまく生きているのです。

その副作用として、表情が読めない。

きっと3人目の自分を作って、

今この時、どういうふうに振る舞ったら周りの人たちを喜ばせることができるのだろう、と考えるやつを作れば良いのですが、そのメリットをそこまで感じれてない。

いや、座右の銘的に、ここはこう振る舞うとみんなハッピーだから自分もハッピーだよね、だからこうしよう!はあるんです。

ただ、内なる二人の自分に反してまで、他人を喜ばせるためにこう演じよう、という思考にメリットを感じれていない。

ですので、何が言いたいかと言うと、実際のところ結構酔っているのでもう別に言いたいこととかないのですが、


無表情な私を見たら、それは何も考えてないのではなく、


こいつ、今頭の中で凄い妄想繰り広げているな、

と思ってください!

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