見出し画像

PirateRadio第一回目の登場は高橋幸宏さんでした。

この写真は、東京千駄ヶ谷にあったディクショナリー倶楽部に、
あのタワレコのNO MUSIC NO LIFEの為に撮影された時の画像です。
ですから、私には特別の想いがあります。
しかも幸運にも、この画像が「freedom dictionary」2月1日発行210号に登場します。
いつも支えてくれるタワーレコードさんに改めて
心より感謝申し上げます。

さて、紹介する番組は、通称海賊🏴‍☠️船と呼ばれる 「 PirateRadio 」。
なんとこの番組、現在、612回目を迎え、つまり既にアバウト600時間分の選曲がアーカイブされているという、分かりやすく言うと、25日間一睡もしないで聴く事が出来てしまう選曲長寿番組なんです。
何故?そんなに懸命なの?
の答えは、
初代選曲家を自認する私の生きるミッション=選曲。
そのルーツに繋がる映画に出逢ったからです。
タイトルは、
映画『パイレーツ・ロック』(原題: The Boat That Rocked)。

当時、イギリスには民放のラジオ局はなく、公営放送のBBCでは、ポピュラーミュージックの放送は1日に45分しか流さないという環境で、若者は唯一ポピュラーが聴ける「ラジオ・ルクセンブルグ(Radio Luxembourg)」というルクセンブルク大公国のラジオ電波を、雑音まじりの音を耳をこらして聴いている状況でした。そんななか、DJスタイルのビート・ミュージックの海賊放送「ラジオ・キャロライン」がスタート。イギリスの若者に熱狂的に支持されます。

この時代の海賊放送の精神をガツンと受け継いで生まれたのが
私の「PirateRadio」なのです。
元を正せば、スタートは実はインターFMでした。
この時、まだ誰もラジオとtwitterを連携させることに気が付いていなかった。がをこの番組で始めた等、ラジオで出来る遊びを数年トライさせていただき、すったもんだあって、現在は「MIXCLOUD」で継続中。
解説が長くなりましたが、私の生きるミッション番組に最初に登場いただいたのが、旧知の仲の高橋幸宏さんでした。
高橋幸宏さん、通称・幸宏との出会いはトノバン(加藤和彦)のご自宅でした。確か二十歳を過ぎた頃でしょうか、当時私はアメリカのカウンターカルチャー雑誌「ローリング・ストーン誌」の日本語版に参加していたこともあり、トノバンとは親しくさせていただいていたのです。そこで出会ったのが高橋さんでした。その後、あらゆる機会に交流しましたが、中でも思い出深いのは私の仕事場の近所にあった玉突きBARでの交流でした。
一回ワンコインを賭けて楽しむナインボール、いいとこまで迫るが最後の勝利は必ず幸宏だった。それを遠くで見守る素敵な奥様、毎夜、幸宏に会いたくてくる友人たち、笑い声の絶えない暖かい豊かな時間だった。
そうした流れのリスペクトを込めて、第一回目のゲストに幸宏をお呼びしたのです。インタビューのテーマはもちろん映画好きの幸宏も好きだった、
『パイレーツ・ロック』(原題: The Boat That Rocked)。
幸宏はいつもの pool bar で話すように・・・
青春時代の記憶を紐解きながら語ってくれました。
インタビューは、タワレコの写真と同じレコード棚をバックにした私の事務所の部屋でした。今聞いても、あの時のはつらつとした姿を思い浮かべることが出来ます・・・暫く、ご冥福をお祈りします。を呟くことができなかった私ですが、この番組に追悼の思いを託したいと思います。

” ユキヒロ、幸宏との出会いが私の人生を輝かせてくれました、
心より感謝しています。ご冥福をお祈ります。
ありがとう。ありがとう。ありがとうならミミズは二十歳。”

初代選曲家 桑原茂一

https://www.mixcloud.com/moichikuwahara/pirateradios-first-guest-is-yukihiro-takahashi/


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?