元TBS社員の独り言「うちの局がこんなになってしまった経緯をお話しましょう」

元TBS社員の独り言「うちの局がこんなになってしまった経緯をお話しましょう」

このブログが話題になっていることを知りませんでした。直感的にある程度は真実であろうと判断しています。本当に元TBS社員が書いたのか、TBS周辺者が書いたのか、現役のTBS社員が書いたのかは分かりませんが、かなりの部分で真実であろうと思っています。

話は変わりますが、

今は、後期高齢者より下の世代であれば、パソコンを持っていなくとも、携帯電話、タブレットからインターネットにアクセスして、動画、ブログ、ニュースを得るのが普通になっていますが、今から20年くらい前は、スマートフォンはなく、パソコンを持っていないため、インターネット(当時も現在も大枠では大きな変化はありません)をしたことがないという(当時の)若者も普通にいました。一般の人で言えば、NTTドコモの携帯電話からiモードというサービスからインターネットにアクセスするのがせいぜいという人が普通でした。

そのためインターネット空間で情報を発信したり、情報を探しに行くというのは、そこそこ(良い人、悪い人に関係なく)賢い人(学歴とか置かれた社会的立場に関係なく)がする行動だったのです。当時、深夜になるのを待ってインターネット空間を徘徊していたのですが(今のように定額制ではなく、当時のインターネットは従量制。23時から5時(?)まで定額だったので、23時になるのをまって眠い目をこすりながら国内外のサイトを徘徊していました)、年配者(50代、60代)と思われるかたの政治、社会のアンタッチャブル(暴力団、在日朝鮮人・韓国人、部落解放同盟、朝鮮総連、統一協会など)の内情暴露的なものがありました。今よりずっと閉ざされた閉鎖空間だったので、どうせメインストリームでは無視されると、諦め半分、開き直り半分で、名指しでいろいろなことが語られていました(投稿主自身がご自分のことを名乗っている方もいました。)。数年前に、いまだに印象に残っているHPを、記憶をたどりながらさがしてみたのですが、すべて見つかりませんでした。プロバイダーの移転(20年前にあったサービスのほとんどは、企業の合従連衡の果てに消えています)、作成者の身辺の変化(寝たきり、死亡など)、はたまた身の危険を感じたりしたのでしょうか、いまだに記憶している印象的なHPすべてがなくなっていました。今はアンタッチャブルな情報は、昔ほどは出ていないとすら感じています。

で最初のTBSの件に話を戻しますと、TBSと同じような話は、メディア業界にはたくさんあるはずです。私が20年ほど前にある人から聞いた話を書かせていただきます。記憶を頼りに書いているので一部で不正確なところはありますが、それは()で説明書きを入れます。調べればもっと正確な情報を出せますが、時間がないので記憶のみで書かせていただきます。

当時、人脈の広い人のところで、私は雑用係のアルバイトをしていました。ただ、私が朝鮮総連、GHQ、創価学会、統一協会、在日朝鮮人の話にすごく興味があることを知っていたからなのか、元商社マンA氏(東大法卒をえらく自慢していて、元三井物産だったか元三菱商事だったと記憶。A氏の名前は思い出せないが、調べれば分かります(A氏の名前をネット上で特定する際に必要になる検索キーワードは分かっていますから)で、永田町でブローカーのようなことをしていたようです。その方の事務所で、話をうかがう機会がありました。時期は、確か、鈴木宗男が逮捕される前後だったと記憶しています。

なんでその話になったのかは思い出せないのですが、明石康(国連事務総長特別代表なんかを務めた人)の話になり、電通仕切りの明石康関係のイベントに、創価学会(←ここの記憶はあいまい)と部落解放同盟が関わっているということをA氏が知り、明石康の夫人は学会員(←ここの記憶はあいまい)なので創価学会が関わるのはありうることだが、どうして部落解放同盟が明石康関係のイベントに絡んでくるのかとA氏は電通の知人に訊いたそうです。

昔、電通社内で派閥闘争があり、電通が新入社員の出自調査を行っている内部資料を、電通内部の者が部落解放同盟に持ち込むということがあったそうです。それ以来、電通は部落解放同盟に脅されて、電通社内に部落解放同盟の推薦枠が出来、さらに仕事にも絡んでくるようになった、と。TBSの話と類似していますね。

竹下登の実父が韓国人であることとかもおいおい書いていきます。

とりあえず今日はここまで。

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