警視庁公安部 外事警察

最近、ノンフィクション本だと思って、麻生幾の外事警察という本を買ったら失敗した。小説だった。読むことはないだろうな。。

なんでこのタイトルにしたかというと、ここ数年、警視庁公安部がメディアの表舞台に出てくることが多くなっていることに時代の変化を感じたからだ。元警視庁公安部所属という肩書の人まで地上波に出て来ているようで、警察は、目立たないように目立たないようにというこれまでの方針から転換したのだろう。

私それなりの数の警備警察、公安警察について取り上げた書籍、雑誌記事を見てきた人間の私から言わせると、警視庁公安部を日蔭から警察の主役に引っ張り出した立役者の一人は佐藤優だろう。

警視庁公安部、公安調査庁の話題を、佐藤優はよくはなすから。

佐藤優の良かった点はいわゆる「情報機関」的なものに国民の一部が関心を持つようになったこと。悪い点は、佐藤優が警視庁公安部を評価するものだから、日本の情報収集力が高いと勘違いする人が発生していること。

諜報活動の矛と盾があるとして、警視庁公安部及び公安調査庁は盾、つまり防諜でしかない。日本国家は矛を持っていない。優秀な矛を持たない国家が優秀な盾を持つことはない。矛と盾は車の両輪であり、盾だけしか持たない国家の盾が優れていることはあり得ない。優れた矛から入ってくる情報が活かされて、はじめて優れた盾が出来る。

優れた対戦車ミサイルが作ることができる国は、優れた戦車装甲を作ることが出来る。優れたミサイルをつくることが出来るに国は、優れた迎撃ミサイルを作ることができる。さらに言うと、上の例では、対戦車ミサイル防護装甲、迎撃ミサイル、つまり防御の方がより技術が必要になってくる。

諜報活動で言えば、敵内部にスパイを作るより、味方にいる敵のスパイを見つける方がはるかに難しい。

本当に申し訳ないが、私は警視庁公安部の能力をまったく評価していない。これは職員の資質の問題ではない。国家体制の問題。日本の政治外交が高度な機密情報を政策判断にいかす体制になっていないから、高度な機密情報を収集する体制になってはいないし、その能力もない(生息地に天敵がいなくなった鳥が飛べなくなるのと同じだ)。

ということで、日本警察の防諜能力に対する私の評価は佐藤優の正反対で、事実上の無防備に近いと考えている。


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