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(2021:その 8) 魂

2021年10月頃に書いた神殿講話の原稿です。
これは、原稿は書いたものの、実際に信者さん方の前ではお話はしておりません。
ただ、Amazn(kindle)でペーパバックにしていたので、2022年1月に信者さん方、部内教会には冊子で配布しています。

この原稿の、中段に、
また、『かしものかりものの理が分れば、事情・身上はすきやかに晴れる』とも教えられています。
と自分で書いておりましたが、実際に2022年6月29日にこの身体がかりものであって、自分であって自分でないと理解できましたら、躁うつ病が軽快しました。

う〜ん。自分で書いてはいたものの、この原稿を読んでみて、やっぱりこの身体は自分であって自分でなくて、心(魂)だけが自分のものなのだよなぁと改めて、思いなおしました。

天理教会長もいちゃんのお話(2020年6月〜2021年12月) | もいちゃん | 宗教入門 | Kindleストア | Amazon
これからの抜粋です。

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本日は、について、思う所をお話したいと思います。(かしわ手)
 
天理教では、『はいきどおし』
『元の理(注)では、人間は八千八度の生まれ変わりをへて』
『体は神様からのかしもの』
と教えらえています。

また、人間創造の目的は『親神様が人間の陽気暮らしを見て共に楽しみたいから』と教えられています。

また、『陽気暮らし』をするためには、八つのほこり『おしい、ほしい、にくい、かわいい、うらみ、はらだち、よく、こうまん、うそ と ついしょう』の心づかいをしないこと、とも教えられています。

これらを総合的に考えますと、親神様は、『人間のを創造された』
それと合わせて、『この世に人間の体とそれが生活できる世界を作られた』
そして『この世でその人間が陽気暮らしをするのをみたいと思われた』ということかと思います。

言いなおせば、我々人間は親神様が作られた体に、を入りこませ、生まれ変わり出直しを繰り返し、その度ごとに体を入れ替えて、陽気ぐらしができる清らかなにちかづくように努力している。

ということになるかなと思います。

また、『かしものかりものの理が分れば、事情・身上はすきやかに晴れる』とも教えられています。

これらを総合的に考えますと、体は、一過性のもの、だけが永遠のもの。

そのが体に入って、この世で陽気暮らしをすることを親神様は望んでいられる。

それを理解でき、こころをたてかえれば、事情(注)・身上(注)はすきやかに晴れるということかと思います。

つまりは、が、八つのほこりを積まない、清らかなものになり、それが肉体に入ることができれば、この世で、身上のないからだと事情のない世界を得て陽気ぐらしができる。

ということかと思います。

また、『事情、身上は親神様からのおしらせ』とも教えられています。

これは、事情、身上によって、自分のの濁りの原因を悟り、そのことによって、八つのほこりを払い、の濁りをとり、清らかにさせることができるということかともおもいます。

また、『事情、身上はの砥石』とも教えられています。

ですので、事情、身上は決して悪いことではなく、そのことによって悟り、を綺麗にすれば、すきやかに事情、身上が晴れるということかと思います。

また、体があるこの世界自体も『親神様の懐住まい』と教えられています。

つまり、この世は、が肉体に入り込み、陽気暮らしを実現することができる環境として親神様がつくられた世界とも考えられるのではないでしょうか?

その親神様がつくられた世界で、かしものの体に清らかなが宿り、陽気暮らしをする。

これを見て、親神様は共によろこびたいということかと思います。
 
わたし達が生きるこの世界は、不思議なことが沢山あります。

なぜ木は太陽の方向に向かって伸びていくのでしょうか?

なぜ桜は春に咲くのでしょうか?

なぜ、人間の体は36度5分の体温で一定なのでしょうか?

どうやって、人間は生まれてくるのでしょうか?

なぜ、男性は女性を、女性は男性を愛して求めあうのでしょうか?

なぜ、私たちは、ものを見て、さわり、あじわい、聞いて、声をだして、うれしい、悲しいと感じることができるのでしょうか?

宇宙はどうやってできたのでしょうか?

どうして地球にだけ生命があるのでしょうか?

どれだけ、科学が発達しても、この世界は不思議なことだらけです。

『不思議が神』とも教えられています。

この世は不思議だらけ、つまり、私たちのまわりには親神様がいつも存在していると考えられます。

その親神様の懐住まいの中で、なぜ、人間は悩み、苦しみ、辛い思いをしているのでしょうか?

それは親神様の想いを理解することができないからではないでしょうか?

人間は本来、陽気暮らしをするように創造されたものです。

それができないのは、が濁っているからです。

『こころ澄みきれ極楽や』とも教えられています。

そう悟らせてもらえれば、この世での、事情、身上に捉われて、思い苦しむのではなく、それはの濁りをとるためのものであり、決して、親神様が人間を苦しめようとしていることではないと思うことができると思います。

そういったおもいで日々生きていければ、こころおだやかにいきていけるのではないかと思わせていただきます。
 
以上つたない話ではございましたが、御清聴ありがとうございました。(かしわ手)

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