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街角クラブ〜ミナスサウンド⑥/マリア・ヒタの苦悩

時代は巡る~マリア・ヒタの苦悩

マリア・ヒタ・マリアーノは歌手としての自分の立場に悩んでいた。国民的歌手である母親のエリス・レジーナと、ピアニスト/キーボーディストの父親セザール・カマルゴ・マリアーノの娘として生まれ、その重圧が肩にのしかかっていた。
1982年にエリス・レジーナはまだ4歳の娘マリアを残して、アルコールとドラッグによるオーバードースで亡くなってしっていた。
十代のころはアメリカで生活していたため、ミルトン・ナシメントとの接点は少なかったが、ミルトンは亡くなった母親リリアを題材にしたアルバム「Pieta」に起用することになる。
歌手への道を切り開かれつつあったものの母の存在は大きく、不安が常につきまとっていた。

・Pieta(2003)

マリア・ヒタ・マリアーノは、歌手としての自身のことを相談するためミルトンのもとを訪ねる。ミルトンはそんな彼女の不安を払拭しようと背中を押す。かつてミルトンが彼女の母エリス・レジーナから与えられたものを、その娘マリア・ヒタへ与える時が来ていた。

・Maria Rita(2003)

マリア・ヒタのファーストアルバムの一曲目は、ミルトンが作曲したラテン調の「A festa」から始まる。祝祭感のある曲調に少し翳りのあるマリア・ヒタの歌声。このアルバムはとにかくマリア・ヒタの抑制が効いた声(自信のなさから来てはいると思うが...)が素晴らしい。
もう一曲ミルトンの1985年にリリースされた「Encontros e despedidas」のタイトル曲をカバーしている。

ロマンティックなこの曲を原曲の魅力そのままに、よりダイナミックな形で取り上げている。この曲は当時ドラマに起用されブラジル国内でもヒットを飛ばす。

ライブ映像を観ると不安げな表情とは裏腹に、母エリスから受け継いだ歌声の力強さを感じることができる。
アルバムでは元ムタンチスのヒタ・リーの曲も取り上げられ、ミルトンと共に彼女をバックアップしている。

新旧のMPBの面々をバックに従え、渋みと深みのある高いクオリティのジャジーなMPBアルバムに仕上がっている。このアルバムはヒットし、続く「Segundo」、「Meu Samba」で国民的な歌手へと上り詰める。2008年には来日し中野サンプラザでライブを行なった。
来日公演では完全に不安から抜けきったサンバ主体のアンサンブルだったので、ファーストアルバムでの自信なさげな彼女の魅力に立ち会えなかったのは少し残念な気持ちがある。
ミルトンを中心にした繋がりは世代を超えて絆をもたらすことになった。

その他のミナス関連盤

影響を公言している人たちも取り上げようと思ったが、あれが入っていない、これが入っていないとなりかねないので敢えて2枚のみ取り上げたい。

小野リサ

・エッセンシア(1995)

トニーニョ・オルタがコ・プロデュースとギターで全面的に参加したアルバム。ジャズベースのバンドアンサンブルでブラジルの風が吹くミナスサウンドのアルバム。
トニーニョの「Beijo Partido」がとにかく素晴らしく、ミナスの山々をストリングスで描いている。ナナ・カイミがカバーしたバージョンに近い、重厚なストリングスに小野リサの消え入りそうなボーカルが乗っている。小野リサの歌声はソフトだけれど、重厚さに負けない存在感を押し出している。小野リサを緩いボサノバ歌手と思うなかれ。完璧なミナスサウンドが極上のアンサンブルでなっている。
もう一曲がミルトンの「Travessia」。包容感のある小野リサの歌声とヴィオラォンはナナともミルトンとも違った魅力を引き出している。
小野リサのパブリックイメージの影響か、あまり振り返られないアルバムではあるが、この二曲だけでも聴いて欲しい。

Agustin Pereyra Lucena アグスティン・ぺレイラ・ルセナ

・Miradas(1997)

アグスティン・ペレイラ・ルセナはアルゼンチンのミュージシャンではあるが、活動初期はバーデン・パウエル直系のギタリストだった。このころになるとトニーニョ・オルタらミナスサウンドを含んだ音楽性に変化している。
「Vuelo amazónico」のようにトニーニョのバチーダに近いプレイもあり、エレクトリックギターの音色も含めミナス色が強い。
軽やかな転調が淡くも鮮やかな「De Oslo a Rio」、トム・ジョビンのような雰囲気の「Al fin y al cabo」、切ないメロディーが印象的な「Rutas」など聴きどころの多いアルバムである。

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まずはミルトンを中心とした街角クラブについてはここで終わりとする。80年代後半以降の街角クラブの面々がリリースしたアルバムも優れた内容のものはあるけれど、あくまでも2枚(4枚?)の「Clube da esquina」を軸としたミナスシーンを取り上げる事をテーマにしていることと、カタログを網羅するために立ち上げたものではないのでご容赦頂きたい。

次はミルトンが関わったミナスのダンスカンパニー「グルーポ・コルポ」と、ミナス連邦大学で集ったミストゥラーダ・オルケストラを中心にハファエル・マルチーニやアントニオ・ロウレイロら次世代の街角クラブを取り上げたいと思う。


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