クリムトの次に観るべきもの/渡邊庄三郎が生み出した新版画
吉田博、小原古邨らを輩出した版元・渡邊庄三郎を中心とした新版画の展示を観てきた。大田区立郷土博物館の一角を使って、25点ほどの作品が並んでいた。近年人気の高まっている吉田博や小原古邨らの作品は無かったものの、版元・渡邊木版画舗の成り立ちがよくわかる展示だった。
(以下グレーの文は会場の説明文からの引用)
並んでいた作品の中でもとりわけ、オーストリア人のフリッツ・カラペリの作品が印象的で、クリムトと繋がるジャポニズムへの趣向が見えてくる。クリムト作品に通じるものをカラペリの木版画から感じた。
・フリッツ・カペラリ/女に戯れる狆 1915年
色合いや署名、表情など日本の木版画とは少し異なる雰囲気がある。もしこの作品がウィーン分離派の作品の中に並んでいてもさほど違和感はないかも知れない。渡邊木版画舗はカペラリが浮世絵を買い求めて訪れた事がきっかけで、それまで複製画専門だったところから新作版画へとシフトすることになる。
・フリッツ・カペラリ/柘榴に白鳥(夜) 1915年
説明文にもある通りカラペリは若冲や北斎からの影響を受けている。
小原古邨の作品が先日のクリムト展で一点だけ展示されていたように、クリムトは小原古邨のコレクターでもあり、自身の作品に浮世絵からの影響を取り込んでいる。元々1873年のウィーン万国博覧会がきっかけで、オーストリアでジャポニズムがブームになったこともあって大きな影響を残している。
面白いのはそう言ったヨーロッパからの視点を持った木版画を、カペラリは制作していて日本の木版画への直接的なフィードバックがあったという事だった。カペラリが日本に長期滞在した理由は第一次世界大戦が勃発したことにより、帰国できなかったという事だが、その事によりこう言った作品が作られる機会があった事で、新版画へ影響をもたらしたのはもっと知られてもいい事実だと思う。
カペラリが最初に関わったのは一年余りではあったものの、その後イギリス出身のチャールズ・ウィリアム・バートレット、エリザベス・キースら日本国外の人々も新版画の制作に関わっていく事で、彫師、摺師の技術も向上することになった。
・チャールズ・バートレット/美保の松原 1916年
・エリザベス・キース/子供の遊び、日本 1925年
渡邊庄三郎はかつての浮世絵のスタイルにこだわることなく、新たなスタイルを絵師と模索し、彫師、摺師と共により高い技術を習得することで、日本人の絵師にも影響を与えることになった。
・高橋松亭・伊東総山/堀切り花菖蒲 1909〜16年
・伊東深水/明石の曙 1916年
・古屋台軒/源氏節 1922年
・高橋松亭/墨田堤の夜 1907
小原古邨や吉田博だけでなく、他の絵師の作品もそれまでの浮世絵よりも細かくカラフルなものが多い。大正から昭和にかけての時代ということもあり、顔料のバリエーションも増え、より色彩豊かな表現がこの頃の木版画の特徴だと言える。
・笠松紫浪
渡邊木版画舗 1939
・伊東深水
明石の曙 1916 12
多摩川原の夕 1917 2
・古屋台軒
越後獅子 1922 2
源氏節 1922
・伊東孝之(たかし)
小台の渡し 1922 1924
月島の夕照 1926
・名取春仙
藝者 1925
春仙美人三姿 鏡の前 1928
・チャールズ・ウィリアム・バートレット
Kobe 神戸の雨中 1916
Iwabuchi 岩淵の夕景 1916
Miono Matsubara三保の松原 1916
Isogo 横浜磯子 1916
Shojo 精進湖より見たる富士 1916
・エリザベス・キース
子供の遊び、日本 1925
・高橋松亭
墨田堤の夜 1907
向かい両国 1909〜16
佃の吹雪
・高橋松亭・伊東総山
堀切り花菖蒲 1909〜16
豊しまの渡し 1909〜16
・伊東総山
無題 鶏に餌をやる子供 1907〜16
・フリッツ・カペラリ
女に戯れる狆 1915
鏡の前の女 立ち姿 1915
柘榴に白鳥 1915
黒猫を抱く女 1915
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