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街角クラブ〜ミナスサウンド①/街角クラブ前夜~ミルトン・ナシメントデビュー

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ミナスジェライスの音楽

リオデジャネイロから北に位置する、ブラジルの山間部にあるミナスジェライス州。かつてゴールドマインで栄えた場所で、今ではコーヒー豆の産地として知られている。そのミナス出身のミュージシャンが奏でるサウンドを総称した所謂「ミナス系」と呼ばれる音楽があり、代表的なミュージシャンとして筆頭にあがるのがミルトン・ナシメント。「ミナスとはエコーだ」というミルトンの言葉にもあるように、山々にこだまする響きを喚起させるミルトンの声がある意味その全ての象徴とも言える。サウンドは時期により変化するものの、彼や仲間たちが作る幻想的な音の響きや透明感のある音色の中に、サウダーヂを感じさせるそのエヴァーグリーンな音楽性が大きな魅力であり、ブラジル国外でも多くの人を虜にしている。

街角クラブ前夜

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ミルトン・ナシメントはプラターズなどのアメリカ音楽や、MPBの他、エイトール・ヴィラ=ロボスなどのブラジルクラシックなどを含むブラジルの音楽を織り交ぜた音楽性が特徴となっている。かつてのボサノーヴァ世代の小声でソフトに歌うだけの表現とは異なり、ささやき声から伸びのあるクルーナー、縦横無尽なファルセットやシャウトまで歌いこなす。デビュー時期が丁度ブラジル軍事政権に差し掛かる頃だったこともあり、かつての牧歌的なボサノーヴァ的表現に対して世間の興味が離れていたことと、ミルトンのような高らかに歌う歌手が出てきたことは無縁ではないと思われる。
ミルトンはコーラスグループやジャズコンボなどで下積みを経験しながら、トリュフォーの映画に触発され自作曲を作り始めた。
1966年、とあるパーティで知り合ったエリス・レジーナに曲を取り上げられた事で、ミルトンはブレイクのきっかけを掴むことになる。

翌年1967年に行われた2回目のMPBフェスティバルで、「Travessia」が二位に入った事でデビューへ足がかりとなった。このフェスティバルでミルトンはアメリカA&Mのプロデューサーであるクリード・テイラーの目に留まり、デオダートを仲介しながらアメリカデビューへのオファーが入る。
渡米前にミルトンは以前から気に入っていたタンバ・トリオをバックにアルバム録音を行う。

・Milton Nascimento(1967)

作詞としてクレジットに名前を連ねるのがマルシオ・ボルジェス、ホナウド・バストス、フェルナンド・ブランチ。ダニーロ・カイミが一曲フルートで参加している。ルイス・エサがオーケストラをアレンジしているが、デオダートも数曲で参加している。「Travessia」の有名なイントロはデオダートによるもの。
タンバ・トリオとの一体感のある演奏が次のコーリッジとは大きく異なり、緊張感を醸し出している。

・Courage(1969)

その後デオダートを頼りに渡米しアメリカ録音に挑む。英詞に関してすんなりと進めることが出来たのは、学生時代に受けた英語の授業があったおかげだったという。授業中は英語のみで会話するという厳格な内容だったということから、日常会話をする分には全く問題がないレベルだったようだ。
レコーディングはルディ・ヴァン・ゲルダーのスタジオで行われ、バックにデオダート、アイルト・モレイラ、ハービー・ハンコックが参加している。この2枚は7曲重複しているが、それぞれ録音されたブラジルとアメリカの違いをみることもできる。独特な和音感がある「Vera Cruz」などの曲でミナスサウンドの原型が完成されている。

・Milton Nascimento(1969)

アメリカ録音のアルバムが批評家から好評を得たことが功を奏し、ブラジル帰国後にブラジルメジャーのオデオンと契約。ミルトンの歌とヴィオラォンを軸に、ガヤによる流麗なストリングスが彩られている。
4/4の歌と7/8のバッキングがポリリズミックにずれていく「Rosa do ventre」など独自の音楽性を聴くことができる。変拍子を含む曲調はこのあとも度々作曲演奏されることになる。
さらにこのアルバムでは、後に街角クラブに参加するトニーニョ・オルタの「Aqui Oh!」や、ネルソン・アンジェロの「Quatro Luas」といった曲が取り上げられている。

・Milton(1970)

旧友ヴァギネル・チソ率いるソン・イマジナリオをバックに従え、ファズギターが所々でサイケデリックなカラーを醸し出している。とはいえ単純にロック色が強まったという印象ではないのが面白い。前作にあったストリングスを廃し、ソフトな面が退行したことでソリッドなバンドサウンドがより前面に押し出されている。
そしてこのアルバムでロー・ボルジェスが登場する。もともとミルトンはボルジェス家の長男マリルトン・ボルジェスとコーラスグループを組んでいたことがあり、その流れでボルジェス家に下宿していた。下宿当時まだ10歳だったロー・ボルジェスと数年ぶりに再開すると、ビートルズから影響された音楽性が開花してしていた事にミルトンは驚く。
冒頭のオルガンとファズが炸裂する力強くポップな「Para Lennon E McCartney」や、幻想的な「Clube da esquina」、リヴォルバーの頃のビートルズを想起させる「Alunar」といったローの曲が3曲取り上げられている事からも、いかにミルトンが彼の曲を気に入っていたのかが良くわかる。
ミルトンの曲もさらに磨きがかかり、ハイラマズのような雰囲気の「Amigo,Amiga」や(ショーン・オヘイガンはお気に入りのミュージシャンとしてミルトンを上げている)、9/8のリズムがポリリズミックに重なる「Maria Tres Filhos」などこれまで以上にカラフルな曲調に変化している。

同時期のカエターノ・ヴェローゾとジルベルト・ジルが先導していたトロピカリアが、サイケデリックな音楽性と政治的な運動を行うコレクティブだったのに対し、ミルトンの音楽性はサイケデリックな表現はありつつもミナスが持つキリスト教文化と、オーガニックな雰囲気を携えている。
ミルトンはこの4枚でキャリアがスタートし、街角クラブ/クルービ・ダ・エスキーナへと発展することで、彼が持つ音楽と共鳴するコレクティブが発生する事になる。


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