ホソノ通信④/はらいそ~コチンの月~イエロー・マジック・オーケストラ
スピリチュアルの世界/インド詣で
今年公開され大きな話題となったクエンティン・タランティーノの「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」。舞台は1969年でLAの街角にはヒッピーの女の子が親指を立ててヒッチハイクし、映画スターやミュージシャンの華やかな生活で彩られていた。幸福な時代として描かれていたものの、実際にはその年の8月にマンソンファミリーによるシャロン・テート惨殺事件と、12月のオルタモントの悲劇が起きた年であり、愛と平和の楽観的なヒッピーカルチャーの終わりでもあった。
アメリカの西海岸、主にサンフランシスコをベースに50年代後半のビートニクスから60年代後半のヒッピーカルチャーへ至る文化の中で、禅や東洋思想とドラッグカルチャーが目指したものは、それまでの物に囲まれて豊かだと思われていたアメリカ社会から脱却しようとする試みだった。物質的な豊かさ=幸せではないことと、それまでの幸福な家族観が崩れていく中で反物質主義による意識改革を促すニューエイジカルチャーが生み出される。LSDによる意識改革を提唱したティモシー・リアリーや、ケン・キージーや、ビートルズが関わりを持ったインドのグルー マハリシ・ヨギと言った人物が登場し、ドラッグとスピリチュアルな思想が隣合わせで存在していた。彼らが求め目指していたものは自分たちにとっての「楽園」だったが、それは愛と平和でもあれば、利己的な欲求に基づいたものでもあった。鍛錬から導かれる悟りというよりは、西欧にはない答えをインスタントに求めるような形だったと思われる。
ビートニクスが試みた禅や反物質主義から影響されたヒッピーカルチャーや、メスカリンやLSDなどの幻覚剤によるドラッグカルチャーは、新たな時代への変革を目指していたものの、チャールズ・マンソンのファミリーが起こしたシャロン・テート惨殺事件が起きたことで、スピリチュアルな世界へ陶酔から、一気に青ざめる出来事となった。
60年代に芽生えたこれらニューエイジ的世界観は、現在に至る西海岸シリコンバレーのITカルチャーに色濃く影響をもたらすことになる。
66年にサンフランシスコで行われたトリップ・フェスティバルを主催していた一人、スチュアート・ブランドが発行した冊子ホール・アース・カタログは、自給自足を目指す人々の指南書となっていた。アップルのスティーヴ・ジョブズはホール・アース・カタログから多大な影響を受けていて、パーソナルコンピューターという概念もルーツを辿ればこの雑誌がベースになっている。ジョブズが引用した有名なStay Foolish,Stay Hunglyはホール・アース・カタログの最終号に書かれたフレーズだった。シリコンバレーのカルチャーはビートニクスとヒッピーカルチャーの延長線上にある。
方やヒッピーに影響された日本人にとって、東洋思想はそもそも日本が仏教ベースである国ということもあり、西欧の人々とはまた違った捉え方で影響されている。沢木耕太郎の「深夜特急」のようにアジアからヨーロッパへバックパックで旅をするという、かつてのヒッピー達が歩んだアムス/ロンドンから極東への道筋を辿るヒッピートレイルの真逆のルートを辿っており、アジアを脱して中東からヨーロッパへと抜けることでアジアの文化圏の外へと向かうものだったと言える。「深夜特急」はスピリチュアルなものを求めた旅ではないものの、バックパックでインドなどヒッピー思想的なアジア旅行をするきっかけにはなっていたと思われる。
先に挙げたアメリカのニューエイジが台頭するのと同じく、60〜70年代ころから日本国内でもニューエイジ的な宗教が各地で増え始める。80年代までは面白おかしく紹介していたカルトな宗教は結果的に1995年に起きたオウムのサリン事件とともに時代に大きな影をもたらすことになった。アメリカではマンソンファミリーが起こしたシャロン・テート事件が悲惨な結末をもたらしながらも、東洋思想や精神世界に対して人々にひとつの区切りを与えたが、日本では95年に起きたオウムによるサリン事件で悲惨な結末を迎える事となった。
ニューエイジが目指したものはパラダイス/楽園であり、細野の「はらいそ」というタイトルは意識したかどうかはわからないもののニューエイジ的な価値観に連なっている。
細野晴臣は「コチンの月」を作るきっかけとなった横尾忠則とインド旅行をした際に、UFOを見たり、オカルティックなものやスピリチュアルなものに触れることで、この時期からそういったものに傾倒していく事になる。「はらいそ」を作っている時に冗談交じりではあったと思うがキャリアの限界を感じ出家を仄めかす発言をしている。ここでの出家はニューエイジというよりも、単に寺に入って坊さんを目指すと言っただけのニュアンスだと思うが…。
細野の根底にあるスピリチュアル志向は、こう言ったビートニクス/ヒッピーカルチャーとニューエイジと無縁ではなく、その後の活動の端々で登場する。
シンセサイザーエラ
「はらいそ」から細野名義だったYMOのファーストまでの道のりは、シンセサイザーの導入が大きな足掛かりとなった。「大安洋行」でシンセサイザーは導入されていたものの、坂本龍一と松武秀樹や、横尾忠則から教わったクラフトワークやタンジェリンドリームなどのドイツの電子音楽、ジョルジオ・モロダーによるドナ・サマーのディスコサウンドなどに触れたことで、シンセサイザーの可能性に触れることになった。「コチンの月」ではアブストラクトなシンセサイザーによるサイケデリックな音楽が奏でられつつも、YMOや後のソロ作に通じるある種のブラックなユーモアが噴出している。
「はらいそ」からYMOのファーストまでの道程はトロピカル3部作からシンセサイザーがもつ未知なる音の世界へと、実のところシームレスに繋がっており、マーティン・デニーのカバーであるファイアー・クラッカーや、細野作のシムーンやマッド・ピエロなどトロピカル3部作にあった世界観をシンセサイザーで表現している。YMOというフィルターを通すと、どうしても分断されがちではあるものの分けて考えずに繋げて考えれば、一本の線で繋がっている。
はらいそ
統一されたテーマ感があった「大安洋行」に比べて、「はらいそ」では一変してごった煮感溢れるアルバムとなった。
バイアォンのリズム(あからさまには使われていない)やニューオリンズが隠し味に使われた「東京ラッシュ」から始まり、シンセサイザーのフレーズとスティールパンが華やかに彩る名曲「四面道歌」、ムッシュかまやつからのオファーで父ティーブ釜萢をフィーチャーしたハワイアンルンバ「ジャパニーズ・ルンバ」、沖縄に行くとよく耳にする「安里屋ユンタ」(ベースラインが素晴らしい)、後にティンパンで再演された独奏による「フジヤマ・ママ」、YMO結成のきっかけとなったエキゾチックな「ファム・ファタール」、リズムボックスとトイ楽器を使った擬似ガムランの「シャンバラ通信」、スカのリズムに煩悩についての歌詞を織り交ぜた「ウォーリー・ビーズ」、日本という島国から脱却したい気持ちを表した「はらいそ」とバリエーション豊かな一枚となっている。
Pacific
鈴木茂、山下達郎との企画盤。細野はプレシムーン的な楽曲「最後の楽園」、当時ハワイでスラックキーギターのレコードを久保田麻琴と共に買い占めていたという成果を表した「スラック・キー・ルンバ」、後にYMOで再演されるサーフインスト「コズミック・サーフィン」の三曲を提供している。ジャケットの通り南国をイメージした曲が並ぶが、まさにトロピカル3部作とYMOを結ぶミッシングリンクとなっている。
鈴木茂によるニューオリンズファンクを連想させるイントロの「パッション・フラワー」など、気軽な一枚ではあるものの聴きどころは多い。
コチンの月
当初は横尾忠則と共作する予定だったものの、細野単独でのレコーディングとなった一枚。坂本龍一と松武秀樹が参加しており、坂本は細野が何を作りたいのか全く分からなかったというほど、唯一無二な音楽が繰り広げられている。シンセサイザーによる音楽が出揃った現在に聴いてもアブストラクトなこのアルバムをカテゴライズするのは難しい。海外含めこのアルバムのサイケデリックかつ楽園と悪夢が隣り合ったような音世界は他にはない。ジム・オルークのフェイバリットでもある。
エーゲ海
松任谷正隆、石川鷹彦との連名によるPacificに続く南国イメージアルバムの続編的アルバム。後のフィルハーモニーのあたりを連想させるイントロからプレYMOなスカナンバー(タイトルはレゲエにかけているが)「レゲ・エーゲ・ウーマン」、YMO期に提供した歌謡曲を思わせる「ミコノスの花嫁」の二曲を提供している。
Yellow Magic Orchestra
元々細野名義でリリースされたYMOのファーストアルバム。細野が掲げた「ファイアークラッカー」のディスコアレンジに呼応して、坂本による「東風」、高橋による「中国女」と言ったオリエンタルな雰囲気の楽曲が提供されている(ゴダールの映画のタイトルを引用している)。
細野のペンによる「シムーン」はトロピカル3部作の延長にある曲で、ここにある和音感はまさにジャズ。古き良きアメリカの音楽に通じる骨格はトミー・リピューマが反応するのも当然と言える。ホソノハウスから一貫した細野によるアメリカの情景にリピューマの心を掴んだのではないかと。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?